連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

FIFAのスキャンダル

FIFAの理事達が汚職で捕まった。世界が唖然としてい大スキャンダルだ。昨日からメディアの取材依頼が多数きている。

汚職は確かに悪い、のだが・・・。「悪い」のは「法律違反」「FIFAの内規(ルール)違反」「倫理的に悪い」の3つのレベルがある。今回のケースはそのどれにあたるのか?事実を確認しておく必要がある。

なぜ米国の司法が動いたのか?米国の何という法律に抵触したのだろうか?初期段階の報道では「脱税」容疑だった。「汚職」「贈賄」ではないのか?

今日の読売新聞で、「RICO」法という法律に抵触していることが分かった。「汚職」「収賄」は通常、公的機関や公人を罰する問題だ。民間の商業行為 「汚職」や「収賄」は刑事問題ではないはず。無論、「公的な施設建設」など、公的な問題は対象となるが、純粋な民間の商業的な行為を、国家機関が管理するのは間違いだろう。

スイスという国はかなり特殊な国で、「情報公開」をしない、と宣言していることで世界の資本を集めている。おこにあるFIFAに透明性を求めるのは「?」。本当に透明性を確保したいのなら、スイスから移るべき。

我々は、(形式的とは言え)「民主主義」で「資本主義」の社会に生きている。その論理が世界中で通用する、と思わない方がいい。我々が「悪い」と思い込んでいることは、「悪いことが自明」ではないのだ。

例えば「談合」は悪いことだ、と思い込んでいるが、本当に悪いことなんんだろうか?98年のフランスWカップまでは、WカップのTV放送権は、世界の「公共放送連合」が設立した(法人格のない)「ITC」という組織が「談合」で決めていた。2002年大会から市場の論理に任せ、透明な場における入札にしたら、突然5倍以上に高騰した。それまでWカップのTV放送は、「報道」と考えられていたが、2002年大会以降、「エンタテイメント」として扱われている。それなら確かに放送権は後学で取引される。

ジャック。ワーナーが2010年の南ア大会の決定で12億円もらっていたらしい。この被害者は誰だ?被害者がいないのに、刑事罰?それは法的に変じゃない?

メディアは、「情緒的」な「煽り」をやめて、理性的で客観的かつ『多面的な視点」で扱うべき事件だろう。

 

日時: 2015.05.29|

メディアの怯懦

昨夜、岡田元日本代表監督とメシを食った。

勝鬨のイタリア・ビーフステーキの店、「ビステッケリア・山崎」でTボーンを堪能。

ゲストは大学のクラスメート、倉津君。「金融史の真実」などの著者で、金融問題で毎年クローズアップ現代などに出て、分かり易い解説をしてくれる。

あとは月刊ニューメディアの吉井編集長など、おなじみのメンツ。

話題として今一番気になるのは、マスメディアの腐れ様。
ザック・ジャパンの総括がJFAでもなされていない(少なくとも公開されていない)ことも問題だが、
それを問題として指摘するメディアが、ほぼ皆無。
異様な静けさだ。まるで「何も問題が無かったことにしよう」という暗黙の了解があるが如く。
それは一スポーツジャーナリズムの問題に留まらないようだ。
例えば、倉津君も、日本の超メジャーメディアに原稿を没にされたことが数回あるそうだ。
いずれも現行のアベノミクス批判につながる、「冷静な分析」だったとか。
そう言えば、「デフレの正体」の著者、藻谷浩介氏が、冷静に「アベノミクスの経済政策の誤り」を指摘したところ、
安倍首相がどこかの会議で「藻谷は許せん!」と発言したとか。その後、藻谷氏はマスコミから消えているそうだ。
これが本当なら、メディアは腐っているし、この国は相当にアブナイ。
岡田氏が西日本というローカルな新聞で、ちょっとサッカーの現状に警告めいたことを言うと、メディアが飛びついてそれを伝えるのも、メディア自身に根性がなく、第三者の発言という形をとりたい、という怯懦の現れなんだろう。

情けない国になったなあ。(それともこれは昔から?)

 

日時: 2014.10.18|

「豊かさ」を考える

バーンスタインの「豊かさの誕生」(日経新聞社)は生涯の読書ベスト3の一つになるだろう。読んだのはもう10年くらい前かなあ。

ここで提起された問題は、「豊かさ」だ。人類は誕生から「豊かさ」を求めてきたと言えるかも。いや、言ってしまおう。これを公理とする。でないと話が始まらない。

ただ「豊かさ」の定義は時代とともに変化している。そして、我々は今、豊かさの再定義をすべき時に来ている。これがバーンスタインの主張だ。

「選択という幻想」と「資本主義の終焉と歴史の危機」を読んで、「豊かさの再定義の必要性」を再認識した。この両書の主張の共通点が、まさにそれだったから。

「選択という幻想」において、著者のシュムークラーは、「市場には自由な選択がある」ということが幻想である、と指摘する。市場は参加者各人が自由に競争し、それが結果的に全体の成長を促進する、というのは幻想である、というわけだ。

「成長」は無論のこと「目的」ではない。本来「豊かさ」という目的達成のために「成長」が必要なのだ。これが自明のこととして従来されてきた。

そもそも「近代」とは、「合理性」「進化/進歩」「啓蒙」という3点セットのパラダイムで成り立っている。政治的には1648年のウエストファリア条約で、「国家」が国際間の調整の主体として登場し、定着したところから始まる。その後、主体はフランス革命とナポレオン戦争を経て、「国民国家」に進化する。

国民国家の基盤である「国民」とは、「合理的」にモノを考えて行動し、向上心を持って常に「進歩」を指向し努力する人物を理想とする。この思想が「啓蒙」されるのだkら、「国民国家」は「近代」の基本的単位に最も相応しい形体の精度だ。

突然に結論を言うが、「資本主義の終焉」で水野さんが出す結論も、シュムークラーの結論も、実は同じで、「競争」=「進歩」=「成長」というパラダイムの否定である。つまり「近代」を否定し、そろそろ「ポスト・モダン」に行くべきだ!なのである。

無論、この結論は一見非現実的である。が、パラダイム変換は、現状から見て現実的であるはずがない。

しばらく、この非現実的なパラダイムシフトについて、このBlog 」で考察を試みたい。

日時: 2014.10.09|

あれから1年

ちょうど1年前の今日が、静岡知事選の投票日。

現役の川勝知事にトリプルスコアで負けた日だ。

世間的には全く何の意味も無い日なんだが、一応当事者としては感慨が無いわけじゃあない。

貧乏性の常として、転んでもタダでは起き上がらない。「知事選の総括」のようなものにまとめようと考えた。目的は個人的な備忘録と同時に、経験のナレッジ化。次の参考になるかな、と。何かしたら、結果の如何に関わらず、振り返って分析をするのは「当たり前」だと思っている。

だが、世の中一般では、過ぎ去ったことを振り返り、分析することは稀らしい。もったいないなあ、と思う。稀どころか、分析したくもないし、されたくもないという輩も少なくない。「反省するな!」というわけだ。分析されると困ることでもあるんだろうか、と勘ぐりたくなる。が、当為の問題ではなく事実としてそういうことなんだろう。ガバナンスとは「責任の所在」をはっきりさせて初めて収まることなんだが、それこそが日本ムラでは最も忌み嫌うところのようだ。

ということで、あれから1年を機に「知事選奮戦記」の正式な中止を決めた。アップしていない原稿は全て破棄することにした。

問題点を指摘したって、変る気がないんだから大きなお世話なんだろうね。いやはや、百年河清を待つが如し、とは良く言ったもんだ。

日時: 2014.06.16|

階級断絶社会、アメリカ

久しぶりにBlogを書く。(Blog を書く時間は、この先タップリとありそうな2014年)

昨夜のコローズアップ現代をご覧になって、ショックを受けた人はっ少なくないだろう。

昨年(だったかな?)、「階級断絶社会アメリカ」という本で指摘されていた、二国分化(「二極分化」ではない)の問題だ。

これは10年ほど前に「グリーンゾーン」で既に指摘されていた。(映画の原作と言われているが、舞台がイラク戦争のテヘラン市内に設けられたグリーンゾーンだ,という以外に共通点はない)

イラク戦争時、アメリカ人が安心してくらせるゾーンを確保した。これがグリーンゾーン。そこ以外は全て危険地帯。日本阿智史観の奥参事官が爆殺された頃の話。(奥氏の現地での上司が上村司。どちらかが殺されることになっていた、司君から聞いた。彼は東大サッカー部の同期。田中眞紀子が外務大臣の時に、国会で思料で頭をひっぱたかれたヒゲの男。元灘高サッカー部。)

グルーンゾーンには水、電気などが全て確保されていた。それらのロジスティクスはハリバートンという会社が受注していた。軍隊のロジスティクス全てをアウトソーシングできるので便利だろう。が、この会社の元CEOがチェイニーだと知ると、話は違って来る。ディック・チェイニーはブッシュ政権の副大統領として、イラク戦争を推進した張本人だからだ。

ハリバートン社のイラク戦争期間の受注額は億円ではなく1兆円に達したのではないかな。チェイニーは退職時に同社の株をもらっている。無論、イラク侵攻時には、名義を変えているだろうが。発注側と受注側が一緒なのだよ。

これって、リーマンショック時の「金融出身者が政府の財務トップ」という構図と似てないか?

つまりアメリカにおいて、公的な領域が民間に浸食されているということ。これが国際的に推進されたのが、1990年代の「グローバル・スタンダード」だということが、今になって分かる。

イラク戦争後、ハリバートン社は、自治体の公的なサービスのアウトソーシングを受注するようになる。水道・電気、教育、公園、図書k難。そして消防、警察などである。何のことはない、地方の行政機関が提供するサービスの全てを遂行する能力があるのだ。

そこで富裕層は考えた。町に収めた税金の大半は、「公平さ」を確保するために貧困層に使われている、と。「所得の再分配」は税期jの重要な機能なんだが、これから逃げようとしたんだね。これは賢いことなのか?(マイケル・サンデルに聞いてみたいね。)

高い公的なサービスを受けるために、行政機能を全てをハリバートン社に発注しよう。そして我々お金持ちだけの町を作り独立しよう!と。これはアメリカ合衆国では合法なんだよね。国の成り立ちと、そこから作られた憲法の「自助の精神」で。・・・・ん???だよね。

昨年(だったかな?)「階級断絶社会アメリカ」が翻訳された。新しい和解富裕層は、自分達以外に関心がないそうだ。行政サービスの民営化と、ミーイズムの進行により、一つの国の中に、もう一つの国があるような状態に。(あれ、これは2013年度版の「このミス」で7位にランクインしたあのSF小説「都市と都市」が実態化した、っていうこと?まさにパラレル・ワールドじゃん!)

昨夜のクロ現では、公園閉鎖、図書館の開館時間の短縮、などがとり挙げられてていた。富裕層を失い、税収が落ち込んだ自治体が、公的サービスの予算をカットせざるを得なくなったのだ。警察官の解雇も増えているようだ。治安も歩くなるだろう。ついには監獄を維持できす開放した自治体も出てきたらしい。犯罪人がフツーに通りを歩く町!行きたくねえ〜!

シャレにならんね、アメリカ。99クラブの活動も宜なるかな。日本に生まれて良かったなあ、と。

日時: 2014.04.23|