連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載 No.05 「焼津に引越す」     2013/07/26

 父、秀礼は気位が高く、商売には向いていなかった。(その血は息子に受け継がれている。)そのために、職を転々とした。昭和38年に、箱根の麓のバイパス沿線に友人が開いたドライブインの支配人となった。東京オリンピックの前の年だったので、父は「オリンピア」と名付けた。「オリンピックだと法律に引っかかるけど、オリンピアは場所の名前だからセーフだった」と、生前の父はよく自慢していた。

 だが、客商売は父秀礼に最も向かないビジネスだった。当然長続きするはずがない。次は英語の百科事典のセールスマンになった。当時、一家に百科事典のセットが1つあるのは常識だったが、父がセールスしていたのは1セット30万円もするアメリカーナ百科事典だった。商売を変えたのを機に、家も沼津に引っ越した。沼津東高校の裏だった。息子の一郎を自分の後輩にしようという意図だった。沼津第四小学校に転校して4年生に編入された。

 秀礼がセールスマンに向いている訳が無い。沼津は最短の2年で引越すことになった。次は焼津だった。父の一番下の妹の経子叔母が里子に出された家が焼津タクシーを経営していた松永さんだった。タクシーに入れるプロパンガスの充填所を別会社にして、「焼津ガス」というプロパンガスの会社にし、父を専務で迎えてくれた。焼津市立東益津小学校の6年生に編入された。小学校も3つ目だった。

 実は私には小児ぜんそくという持病があり、小学校はよく休んだ。5年生の時の体質改善が効いたのか、それとも焼津という土地があったのか、あるいは小児ではなくなったからか、焼津に移ってからは喘息が収まった。それまでは運動会や遠足は半分くらい、喘息のために欠席している。足は速く運動能力は高かったが、病弱な体質だった。母の実家に行くと必ずと言っていいほど、風邪で寝込んだ。大学になってサッカーの試合で頭を打、救急車で病院に運び込まれたことがある。その時、ついでにアレルギーの検査をし、「猫の毛、杉花粉、家埃、家ダニ」にアレルギー反応を起こす事が判明した。祖母の家に同居していた従姉妹が猫好きで、常に複数の猫を飼っていた。

 よく寝込んだおかげで、本をよく読むようになった。読書量のおかげで、勉強らしい勉強をしなくても、小学校の成績はどこでも良かった。そして、中学校は静大付属静岡中学に合格した。東益津小学校創設以来2人目の快挙だと言われた。(我が妹が3人目だった。)

 

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日時: 2013.07.27|