連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No.01 「知事戦に出馬?冗談でしょう!」 vol.1

2013年3月上旬、さる友人の紹介で自民党県連の幹事長が、上京して当方に会いに来られた。場所はホテル・ニューオオタニの中庭に面した大きなカフェ。全くの初対面だった。用件は「知事選出馬の打診」だった。(「飽くまで要請ではありませんよ」と念を押された。)静岡県の自民党が知事選に独自候補を擁立するのに苦労をしている、という噂は聞いていたが、まさか、それが私に関わってくるとは夢にも思わなかった。

 これまで、複数の政党から中央政界への出馬を打診されたことがあるが、いずれも即座にお断りした。政治に興味が無いわけではない。大学では「政治学」を専攻し、「政治学科」の卒業である。が、興味があるのは政策であり、政争には今もってとんと興味が無い。政治家になることに興味は無いが、政治家にできること、すべき事には興味がある。これまで、政治家個人に対して非公式に、あるいは公の場で政策提言をしたり、政治的な活動にも関わったこともある。

例えば、「スポーツ振興法の改訂〜スポーツ基本法の策定」について、アドバイサリーボードのメンバーを4年間務め、様々な提言をした。あるいは、平成17年に地方自治法が改訂され、開始された「指定管理者制度」の実施について、さまざまなリスクを説き、「事例」の共有が必要であると総務省に提言した。その後、自治体の代表や受注業者、更には有識者をメンバーとした「事例研究会」が立ち上がった。言い出しっぺの私はスポーツ界の代表として初年度から委員となった。(「指定管理者制度」とは、自治体が所有する施設を民間に管理委託することを可能にしたもの。事前調査で自治体の7割が「スポーツ施設」をその対象と考えていることが判明していた。圧倒的に一番だった。Jリーグなどのプロスポーツ産業にとっては朗報だった。)

そういった活動が耳に入ったので、お声がかかったのだろう。もっとも私にとってみれば、「県知事」になることを選択肢として考えたことは一度も無かった。県知事は直接選挙で選ばれる大統領のようなものだ。実際、静岡県の年間の予算規模は1兆2千億円で、これはニュージーランドの国家予算に匹敵する。「ニュージーランドの大統領」ともなれば、確かに相当な権限があり、かなりなコトができるはずだ。(具体的にやりたかった事については、後に述べる。)「政争」ではなく、「政策」の実行にエネルギーが割ける。聞いた途端に、「なるほど、その手があったか!」と口に出して言ってしまった。相手の幹事長さんは、キョトンとしていらしたが。

「なるほど」と頷いたもう一つの理由は、私の履歴にある。「数奇な半生」と言っても良いだろう。現在のFIFAのブラッター会長とは86年のWカップメキシコ大会でも、90年のイタリア大会でも同じホテルで、早朝に何回かボールリフティングの相手をした仲だ。「サー」という貴族の称号を受けた英国サッカーの名選手ボビー・チャールトンとは、1995年の年末のパリで、ゼネストのおかげで4時間にわたって空港に向かうタクシーの中で二人っきりで雪隠詰めをくらった。イタリアの名門サッカーチームのユベントスが、GMの恐喝や八百長などで3段階くらいの降格をくらったコトがある。その時のGMモッジ氏は、マラドーナを擁してイタリアリーグを制覇したナポリのGMで、私がゼロックス・スーパーサッカーのプロデューサーとしてそのナポリを招待した際の交渉相手だった。コロンビアのメデジン・カルテルの麻薬王エスコバルのチームが南米チャンピオンになって、トヨタカップの来日が決まった際、公安と相談したコトもある。チャウシエスク大統領が暗殺される前のルーマニアで、大統領の弟にして陸軍元帥がオーナーだったステアウアというチームが欧州チャンピオンになり、やはりトヨタカップでの来日が来まった際には、外務省に2度も説明に行かなければならなかった。サッカーに関わりながら、国の内外の政治や行政と関わった。就職先は広告代理業だったが、広告とは無縁な作業が如何に多かったことか。

 

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日時: 2013.07.16|