連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No.06  黒い羊 2013/07/28

 幼稚園3つ、小学校3つ、小学校と関係のない中学校と、数えたら7つのコミュニティー(共同体)を生まれてから12年間で経験したことになる。同じ中学から高校の同窓になったのは3名だったから、高校も入れると15年間で8つ目だから、中々の数だろう。

 1つの共同体の中で過ごすと、自分を客観的に見つめる機会がなかなか得られない。この点で私は転校する度に、それまでの学校(という共同体)における自分の存在を反省し、次の学校では最初から仕切り直すことができた。例えば、「これまでは悪童だったが、今回は優等生で行く」などのキャラの変更ができた。そして、それは同時に自分を客観的に問い直す行為を伴う。中学校に入学するまでに、私は十分すぎるほどの「自己客観化」のトレーニングを積むことができていた。自己客観化こそ、戦略思考の基礎だ。戦略とは、目標の成果を定義し、達成するまでのシナリオを立案し、実行する方法のことだ。現在の自分を客観的に把握することなしに、正しい目標設定も、正しいシナリオも定めることはできない。(戦略思考について、ご興味のある方は拙著「10年後、仕事で差がつく戦略思考」をご参照頂きたい。)

 もっとも、「客観的に見る能力」は、共同体内部で十分に居心地がいいメンバーにとっては脅威となる。共同体は基本的に「現状維持を肯定する集団」であるから、そもそも「現状への疑義」を少しでも感じさせる外界の存在、つまりよそ者は排斥され、共同体の維持に努める。英語で「Black Sheep」という表現がある。「黒い羊」は普通の白い羊の群れでは「浮く存在」となる。

 考えてみれば、私は生まれ故郷の三島を出てから常に他所者、つまり黒い羊であった。それは、静岡を出て大学に入ってもそうだったし、会社に入ってもそうだったし、今に至るも変っていない。客観的な見方ができる能力は、「主観的な論理の共同体」内では、常に浮く存在にならざるを得ないようだ。ある意味では孤独だが、それも仕方が無いと思っている。何かを得れば、何かを失う。それが人生というもの、「セ、ラヴィ」だと割り切っている。

 

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日時: 2013.07.28|