連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No.08 常勝軍団「藤枝東高校サッカー部」入部 2013/7/30

 私が入学した当時の藤枝東高校サッカー部は、とにかく強かった。春の合宿中に主力の3年生が二人いなかった。全日本のユースに選ばれて合宿にいっていたのだ。一人は後に日立に入り、日本リーグで得点王になった碓井さん。柏レイソルの監督もやられた方だ。もう一人は、大畑さん。釜本さんのいるヤンマーに入ってウィングとして活躍した。お二人とも別格にうまかった。同じ部にいたが、既にスターだった。(それにしても、「後に日本代表にもなる人達と同じクラブで毎日一緒に練習した」というのは、我ながら素晴らしい経験だったと思う。)

 スターは同期にもいた。中村一義君。第1回の全国中学校サッカー選手権の得点王である。1年生からレギュラーだった。とにかく運動神経の塊のような男で、中学生の時に既に100m11秒台で走っていた。しかも、長距離も早かった。同じクラスで、体育の時に、走り幅跳びをするのを横から見たら、人の頭の上で飛んでいた。メキシコ五輪で人類初めて8mを越えたビーモンのようだった。身長が170cmそこそこしかないのに、大柄なディフェンスにヘディングで勝って得点していた。ドリブルの名手で、夏の合宿で日本リーグの日立と練習試合をした際、川上というディフェンダーを手玉にとっていた。川上選手は日本代表の選手だった。そんな選手と同じグランドで毎日そのプレーを間近に見、一緒に練習できたのだから、面白くないはずがない。

 私が1年生の時、藤枝東高校は徳島のインター杯で優勝した。決勝の相手は広島県立工業高校だったが、前半で3−0とし、後半は遊んでいたようなものだった。強すぎた。当然、正月の全国選手権に出場し、連覇するものと思われていた。だが、インター杯優勝者のシードは廃止されており、静岡県の予選は、なぜかベスト4となってからリーグ戦形式が採用された。そして、わが母校は清水商業と引き分けたものの、最終戦で藤枝北高が清水商業に6−0で負けない限り、得失点差で藤枝東が代表となるはずだった。そして、北高が0−6で負けた!この年度、公式戦無敗のチームが全国大会への出場を果たせなかったのだ。勝負の恐ろしさを知った。県内予選の最終リーグ戦形式は、一回限りで廃止となった。

 チームは強かったが、私は相変わらず、その中で一番下手だった。が、足は早かったので、何とか対応していた。もっとも、下手だったので、逆に一番伸び代は大きかった。個人練習で左足のキックを集中して鍛えた結果、1年生の冬休みの合宿では、練習を見にきたOBから、「お前は左利きか?」と尋ねられた。左足の方が強いキックができるようになっていたのだ。順風満帆で、2年生の終わりには仲間に何とか追いつく、という目標は実現できそうだった。

 

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日時: 2013.07.31|