連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No.10  大学生活 2013/08/01

 大学でもサッカー部に入った。故障は浪人中に直したので、問題なくボールは蹴ることができた。入ったことは入ったが、藤枝東高校のサッカー部と東大のサッカー部では、レベルも目標も違っていた。モチベーションが萎えて、専門課程に進む3年生になる際に退部した。ただサッカーはやり続けた。

 渋谷に国際サッカークラブという在日外国人のクラブチームがあり、そこに所属して渋谷区の社会人リーグでプレーしていた。日本人の助っ人プレーヤであった。このチームには特にスペイン人が多かった。母国でセミプロだった者もいた。牧師さんだったが、とにかく上手かった。個人技も上手かったが、とにかくサッカーを知っていた。ここではサッカーが違った。実にオモシロイ。スポーツは遊びだからPlayをする。遊びだから、創意工夫をする。メンバー全員が、集中して楽しもうとする。仕事と遊びは違う。日本人はまじめになって、スポーツさえも「仕事」にしてしまうが、楽しくなければそもそもプレーする意味がない。これがスポーツであり、サッカーというものなんだ、と目から鱗が落ちた思いだった。

 最も違ったのはリズムだ。日本人のサッカーは単調だ。農耕民族だからだろうか。緩急に乏しい。サッカーでは緩急のリズムが無いと、なかなか崩してシュートまでいくのが難しい。個人技では日本人にも上手いプレーヤーはいるが、チームとなってリズムが作れないと勝てない。それがサッカーだ。ヨーロッパでは、子供の時にボールを蹴り始める時点で、サッカーをプレーすることを教わる。オトナになってから教わるものではない。だから、見ず知らずの初対面の人間が集まってボールを蹴り始めても、すぐにサッカーになる。

 日本の部活の体育会的な文化を嫌って入ってくる日本人の学生もいた。そのうちの一人は、スペイン人の紹介でスペインリーグのオーディションを受けることのなり、渡欧した。合格したが、彼は帰国した。恋人がスペインに渡るのを拒んだからだ。奥寺さんやカズより先に、外国でプロ契約した第1号になれたのに、惜しいことをした。後に読売クラブ入りした湯田君も、浪人時代にはこのクラブでプレーしていた。高校時代は関東のマラドーナと言われていた、頗る上手い選手だったし、彼の独特のリズム感と個人技は日本人離れしており、むしろヨーロッパ人のチームでは生きた。(このチームでプレーしていたチームの写真が、今でも青山の「エル・カスティリヤーノ」というスペイン料理屋に飾ってある。私も映っているが、スペイン人と見分けがつかないだろう。主人のビセンテは、元闘牛士で、膝を痛めて断念し、来日して開いた店で、滅法美味い。ビセンテはチームメートで左のサイドバック専門だった。

この記事へのコメント

Leave a Reply

日時: 2013.08.01|