連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No17. 国際メガ・スポーツ大会開催の意味 その 2013/08/09

Wカップの開催を勝ち取ることで、実は、サッカーのみにとどまらない、スポーツにとどまらない、「国家の形を変える」という野望を持っていたことを告白しよう。大言壮語という誹りは覚悟の上だ。「地方の自立と振興」「自立した地方が中央を経由せずに並列でネットワークを組む」「地方と直接国際社会とのネットワーク構築」「ICTの活用による行政の効率化」「環境問題に考慮したインフラ整備」などの21世紀的なテーマが、Wカップ開催によってできるはずだった。少なくともきっかけにはなるだろう。この確信があった。

お手本は「東京五輪」と「アメリカのWカップ」だ。昭和39年の東京五輪の開催は、いろいろな意味でその後の日本という国の形に影響を与えた。例えば、「首都高速」「東海道新幹線」「東名高速道路」などが「東京五輪」の開催が契機となって整備されたのは有名な話。それだけではない。「メイド・イン・ジャパン」というブランドは、「東京五輪」開催までは「安かろう、悪かろう」だったのだ。それがこの大会を立派に実施したコトをきっかけに欧米での日本の評価が変った。それに伴って、工業製品も一流の仲間入りとなった。

1994年のWカップ開催は、開催地米国にとって2つの大きな意味があった。第一に、「グローバル化」の問題だ。アメリカはモンロー主義の伝統の国であり、旧大陸である「欧州」を否定して建国した新大陸の人工国家だ。自然にできた国ではなく、歴史が浅いために、常に「アメリカ的なもの」に拘っている国でもある。スポーツはアメリカでは国家宗教とも呼べるものになっている。多民族国家が一つの価値観を共有するのに、スポーツほど便利で有効なものはない。スポーツはまさに「アメリカ的」なモノの象徴となっている。

従って、逆にアメリカン・スポーツしか受け付けないところがあった。野球は「National Pastime」(国民的な余暇)と言われ、アメリカン・スポーツの代表として君臨してきたし、アメリカ国内選手権の名前は「ワールド・シリーズ」だ。フットボールと言えば「アメリカン・フットボール」のことだ。その国において旧大陸で最も人気のあるサッカーの世界選手権が開催されたのだ。組織委員の一人であるスタインブレッヒャー氏は、「Wカップは窓だ。世界がその窓からアメリカを見、そしてアメリカもその窓から世界を見た」と言ったのにはそういう背景がある。コレは深読みすぎるかもしれないが、90年代のアメリカの「グローバリズム」と、Wカップの開催には何かの因果関係が見いだせるのではないだろうか?アメリカが旧大陸のサッカーを受け入れるのには、グローバリズムの1990年代まで待たなければならなかった、と考えるのは穿ち過ぎだろうか?

 

 

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日時: 2013.08.09|