連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No20. CI(Conservation International) 2013/0812

CIにインターンシップ引き受けを快諾してもらったので、次は電通社内の説得。幸い電通には海外留学制度があった。TOEICで一定以上の成績を取って、「留学の目的」をプレゼンテーションし、認められれば3ヶ月から半年、海外留学ができるという社員向けの自己啓発制度だ。(TOEICの過去問題を読んだ結果、「前置詞」「主語の人称」「時制」の3つがポイントであることを発見した。結果として試験では820点をとることができた。)21世紀にはあらゆる企業が「環境対応」せざるを得なくなる。クライアントの会社でトップになる人材は、一旦、環境問題の責任者となっている。電通も「クライアントの環境対応」に対応すべき時が来る、というプレゼンテーションをし、役員の説得に成功した。留学は99年の3月から3ヶ月間と決まった。

CIで私を引き受けてくれた部署は、「ビジネス部門」であり、そこの部長が前出のグレンだった。頭の切れる男だった。(CIを去る前の最後のミッションは、フィリピンの熱帯雨林の現状視察だった。「一緒に行こう」と私を誘ったのがグレンだった。視察中に小さなボートで沖合から熱帯雨林に入ろうとしたら、突然の嵐に教われて、危うく難破しかけたことがあった。)

CIは当時、インテルの共同創業者で「ムーアの法則」で名高いゴードン・ムーアが、年700万ドルを5年間、総計3500万ドルの寄付を決めたばかりだった。また、時のクリントン政権に、ここのスタッフの一人が「環境問題」の専門家としヘッドハントされたりしていて、ノリにノッテいた観がある。

当時、CIが行っていた事業を2つほど紹介しよう。彼らは「生物多様性」の維持を第一の目的にしていたが、そのために一番重用視していたのが「熱帯雨林」の保全だった。欧米の企業で早くから環境問題に積極的に関与していたのが、ベンツ社だった。ベンツはクルマのヘッドレストの中を化学繊維やスポンジを使わずにヤシの繊維を使用していた。(「メルセデス・ベンツに乗るということ」金谷年展著、参照。)自然の素材を使うことは自動車利用者にも良いが、同時に開発国にビジネスと雇用を産む。CIは熱帯雨林に生息するある植物の種の皮を除去して磨くと真っ白で固いプラスチックのようになることを発見し、貝の替わりにボタンとして利用するようにアルマーニ社に提案して採用された。熱帯雨林の無軌道な伐採は、地球環境を損ねる。それが分かっているのに止められないのは、経済的な原因による。再生可能な仕組みで現地に雇用を産むことができれば、無軌道な伐採は止められる。

CIは、開発途上国の環境問題を解決するために、金融的なアプローチでの解決策も考案し、実行してていた。矢その良い例が「環境スワップ」という仕組み。途上国が返せなくなった債務を債権国から10分の一くらいで買う。貸した方は、10分の1でも「0」よりはマシだ。その債権を当該国に半額で売る。国にとって債務の半分は免除になり、しかも、その代金はお金ではなく国が持っている現物にした。例えば、国内の熱帯雨林の伐採の権利などで支払ってもらう。取得した権利を使って、CIは先ほど紹介したようなやり方で、環境負荷が低く、持続可能な雇用を産む事業を開始する、という訳だ。落語で言う「三方一両損」みたいな考え方で、実際的だ。こういう解決案を提案し実践するには、その分野の専門家が必要だ。実際、CIには世界中の様々な専門家が集まっていた。無論、金融の専門家もいた。環境スワップはフランス人で元金融関係で働いていた女性スタッフが考案した仕組みだった。

CIは「環境NGO」界ではエリート集団と言われ、各国の政府にもアドバイスしている。ビジネス的な処理に卓越している集団だ。当然、アメリカ政府との関係も良い。実はクリントン政権の大統領補佐官はCIのアジア・パシフィック担当部長の実兄だった。CIの紹介で、環境問題の政府関係者にもあった。環境省(EPA)には完璧な日本語をしゃべる白人がいて、「日本からは本当にたくさんの人が僕を訪ねてくるけど、自分の意見を明確に言ったのは、貴方が初めてだ」と言われた。私は当時から既に「水素エネルギー社会」の到来と、「燃料電池」の可能性を信じていた。(これが今回の「メタンハイドレード」開発による新エネルギー産業の開発と確立、という政策につながっている。)

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日時: 2013.08.12|