連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No21. ITバブルのニューヨークに行く(1989年) 2013/0813

CIの本部はワシントンDCにある。言うまでもなく、この町は政治の町だ。はっきり言って、政治以外には何もない。ホテルの朝食、あるいはレストランのランチで、ダークスーツの男どもが、顔を寄せ合ってひそひそ話をしている光景がどこでも観られる。大抵彼らは壁際のテーブルにいる。(映画か!)政治に関係ない人にはオモシロくも何ともない。この町に3ヶ月滞在は、正直キツイ。以前、89年にNYで駅伝の国際大会を実施し、その際のマンハッタン滞在3ヶ月間は、ユニオン・スクエアのゼッケンドルフ・タワーに部屋を借りた。1Fにスーパーがあり、7階までは一つの建物だが、8Fからは4つのタワーに分かれて50階建くらい。4Fにプールがあり、7Fの屋上はテラス。「NY、恋物語」というTVドラマシリーズで、岸本加世子が鳥越マリを訪ねた際のロケでここのプールが使われた。(古い!)土曜のブランチはSweet Basil でジャズ演奏を楽しみながらハンバーガーだった。ブロードウェーやオフ・ブロードウェーにも通った。週末はニュージャージーでゴルフだが、グリーンが凍って途中で切り上げてことが何回かある。バブルガム・ブラザーズがアポロシアターのアマチュア・ナイトに挑戦したのにも立ち会った。木曜の夜は、アパートから徒歩三分のパラダイムシアターに行った。建築家の磯崎新氏によって、古い劇場がモダンなクラブに変っており、木曜はラテンナイトだった。サルサの強烈なビートに身を委ねるラテン系の人達を眺めているだけで元気になる。英語がほとんど通じなかったので、カタコトのスペイン語で話した。何と楽しかったことか!

そこで、週末の土曜の朝、AMトラックで片道3時間かけてNYに行き、一泊して日曜の夜にDCに帰る生活を始めた。ジュリアーニ市長に変ってから、NYは安全になっていた。42ndにディズニーストアができていた。安全な街の象徴だ。

当時のNYは、ITバブルの真っ最中で、とにかく景気が良かった。ダウンタウンのレストランに行くと、ウェイティングルームでドンペリニョンという高級シャンペンがダボダボと飲まれていた。若いエリート社員の多くは、サスペンダーをしていた。典型的な「バブル」の光景だった。ウオール街は「シリコン・アレー」と言われており、とにかくどんな銘柄でもIT関連でさえあれば株はあがった。(カリフォルニアのスタンフォード大学周辺で、多数のITのベンチャー企業が生まれ、この辺りは「シリコン・バレー」と呼ばれていた。)タクシーの運転手に、「お客さん、東京からかい?オレはパキスタンからの移民さ。」ターバンを巻いていたからムスリムであろう。「ところで、オレの資産がいくらか分かる?」「(知るわけがないだろう!)」「実はワン・ミリオンあるんだ。とにかくITの株を買っておけばあがるから、お客さんも買っておきな。アドバイスにチップは不要だよ」だと!そんなオカシな時代だった。

この記事へのコメント

Leave a Reply

日時: 2013.08.13|