連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No22 スポーツナビゲーション(スポナビ)創立 2013/0814

 3ヶ月のDC滞在中、ほぼ毎週末にNYを訪れている時に、偶然にも大学の同級生とNYで遭遇した。商社マンの彼は投資部門にいて、「IT関連株で儲けてウハウハだ」と言う。「ああ、そうですか。そりゃ良かったね」だったのだが、投資した中に「Sports On-Line」という会社があり、スポーツ専門サイトとして世界初の上場を果たしていた。(恐らく、現在でもスポーツ専門サイトとしては唯一の上場会社だと思う。)数年で7倍という投資効率の良さだった。(現在では考えられないが、当時はこれくらいは普通だった。)その友人から、「このビジネス・モデルは日本でも行けると思う」と言われた。そして、「日本のスポーツビジネスに明るい」私に、会社設立の相談が持ち込まれた。

 日本帰国後も相談に乗っていた。サイトの基本コンセプトやコンテンツの構成は、ほぼ出来上がった。最後に残った問題は、CEOの人材だった。それまでのアドバイスを通じて、私の人物なり、能力が商社の投資部門の役員に評価されていたようだ。「広瀬さんにCEOを頼んだら?」と来た。こちらは、何しろスポーツビジネスから離れるための米国行きだったから、ビックリだ。と言いたいところだが、アドバイスを与えているうちに、この事業に魅力を感じ始めていた。

 90年のWカップイタリア大会から96年のアトランタ五輪にかけて、スポーツ界では急激なIT化が進んでいた。FIFAのIT化を進めた「En-Linea」の創業者のベネズエラ人の男から直接、その可能性を聞いていた。(その後の変化は、ほぼ彼の読み通りだった。年のせいか、名前が思い出せない。)94年大会のIT化作業にEDS 社を引き込んで、実際のプラットフォームを構築したのは彼だった。彼の紹介でダラスのEDS本社を見学させてもらった。ダラス空港についたらヘリで迎えに来てくれ、郊外にある本社を上空から観た時の衝撃は忘れられない。この時の訪問はTV 東京のカメラに収められ、放送された。98年のフランス大会でも彼はIT関係の作業を取り仕切ったはずだ。(ああ、名雨が出てこない!)彼はその後、自分の会社をFIFAに売却し、スペインのコスタ・デル・ソルで悠々自適に暮らしている。(売った会社は「FIFA-On-Line」になっている。)

 話を元に戻す。そういう情況で、「日本初のスポーツ専門サイトの創立者」になるという話は、実に魅力的で断れなかった。その申し出を受けると供に、電通退社を決意し、管理部門にいた同期に相談した。1999年の年末だった。

 すると、「その話、一ヶ月だけ待ってくれ」だった。当時、電通は上場の準備を進めており、幹事証券となる会社から、「海外部門の売り上げ比率の低さ」と「IT関連事業への投資の少なさ」を上場に際した問題点として指摘されていた。そして、2000年の年明けに、「電通ドットコム」というIT関連事業のベンチャー・キャピタル部門が創設された。「スポナビ」を「社内ベンチャー」の投資の第一号案件として欲しい、との要請が来た。商社側にその話をつなぐと、「電通と組めるのは願ってもない」と二つ返事だった。

 こうして、「スポーツ・ナビゲーション社」と、「スポーツ・ナビ」というサイトの創設が決まった。会社の登記は2000年の7月だった。この会社では、いくつかの日本初と世界初を実行した。例えば、世界初の、「サッカー国際Aマッチのネット生中継」。これは「日本代表vsフランス代表」戦で、フジテレビは時差の関係で早朝4時からのディレイだったが、スポナビは深夜の2時から完全の生中継を断行した。(これだけで1千万の赤字だった。)

 

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日時: 2013.08.14|