連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No29 「スポーツ総合研究所」創立 2013/0819

 「日本のスポーツ界を変革し、そこから日本社会全体の変革につなげる」戦略遂行のために、RIETI時代にスポーツ総合研究所を設立した。株式会社とし、英語表記を「Total Sports Strategies」とした。基本戦略はスポーツ界の上と下から攻める。上からは、トップスポーツの「マネジメント改革」を「SMS」を通じて行う。下からは、小中学校の「体育」を「スポーツ」に変え、スポーツを通じた人格陶冶を図る「人材教育」を普及・確立する。日本という国家/社会には様々な欠陥があるが、一番の根本的かつ深刻な問題は、「社会」が確立していない点だ。

 「社会」は西欧が近代化れてから出現したものだ。「近代」という思想・思考が現象化されたものが「社会」であり、それを政治的に統合したものが「(近代)国家」だ。従って、社会が確立していない空間には、そもそも近代国家は成立しない。これが近代(モダン)の原理だ。我々が日本社会だと思っているものには、実は「共同体的」なモノが色濃く残っている。それも中核に、だ。「共同体」とは同じ場所で生まれ、同じ生活をして、同じ価値観を共有している集団、つまり「ムラ」のことだ。一方、「社会」は何処で生まれたのか、どんな育ち方をしたのか、お互いに定かではない。従って、価値観が違う多様な人達の集団、つまり「マチ」だ。近代とは基本的に「都市の論理」なのだ。共同体は「同じ(同質)」を前提にし、「社会」は「違う(多様性)」を前提に成立している。集団を統べる論理が180度違う。逆さまなのだ。そして、現代の政治と経済は「都市の論理」である「近代」の原理で動いている。「会社」は経済を構成する重要な要素なのに、日本の会社は「ムラの論理」が横行している。それは単なる矛盾で済む話ではない。

 東北大震災で日本の基幹を司る「東京電力」という立派な会社が、「ムラ」の論理で運営されてきたことが明らかになった。彼らにとって、昨日と今日と明日は常に「同じ」であり、非常時を想定していないため、当然ながら非常時には全く機能しなかった。それが、会社の中だけで済む問題ではなかった点、今更言うまでもなかろう。あの姿を自分達の会社、あるいは組織とダブらせた向きは少なくないはずだ。その後に起こった全柔連などの不祥事から、日本の組織が内向きな「ムラ」的要素を未だに色濃く残していることが露になった。「ムラの論理」と「マチの論理」は併存して良い。が、社会は基本的に機能集団であり、そこが「好き/嫌い」や「先輩/後輩」といった「ムラの論理」で運営されると、社会全体のリスクが増す。政治も同様で、ムラの人達は「政治という社会的機能」の担い手を選ぶ能力を欠く。民主主義を担保する「選挙」という基本的な仕組みは、健全な社会において初めて機能する。「選挙」が制度的に保証されているからといって、それが健全に機能するかどうかは、別問題だ。決して制度だけで解決する問題ではない。そして、健全な社会を形成するためには、健全な市民を育成するしかない。これらは論を俟たない真理なのだ。

 

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日時: 2013.08.19|