連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No30 「健全な社会」は市民が作る  2013/0820

 「社会」が出現した背景には、「産業革命」によって生産効率が飛躍的に向上し、人類史上初めて、恒常的に需要を上回る供給が確保されたことがある。余剰となった生産物を共同体の外に運び、他のモノあるいはカネと交換する余裕が生まれ、交通手段と交通網が発達した。「ヒトとモノ」の流動性が飛躍的に高まったコトが、「共同体」とは違う集団、「社会」が出現した原因だ。

 19世紀のヴィクトリア朝イングランドでは、産業革命により工場ができ、雇用が生まれ労働者が集まり、都市ができる。そこに集まる人達は故郷を捨てて労働者になるために来た人達だ。この「労働と余暇が分離」したのも近代社会の特徴だ。「労働者」とは、自分の労働を時間単位で売り、対価を得る人のことだ。彼らは日給であり、日曜は休日だった。近代以前にそんな人は存在しなかった。余暇などは貴族のものだったから、彼らは「有閑階級」と呼ばれる。(ソースタイン・ヴェブレンの「有閑階級の理論」はオモシロイ!おススメだ。)従って、スポーツができるのも貴族のみだった。スポーツは決して全ての人が楽しめるものではなく、元々は有閑階級のものだった。「アマチュアリズム」は、元々騎士の「闘争の倫理」がベースになっている。(だから武士道との共通点は多い。)労働者が生まれ、労働と余暇が分離されたために、「余暇の庶民化」が進み、一般庶民(つまり私たち)もスポーツをするようになった。それまでは年に数回の余暇は、「祭り」の時だけだった。余暇が一般化した今日でも、余暇に行われるスポーツに、「ハレ」である祭りの要素が残っているのは、こういった歴史的な背景がある。

 我々が住み日常生活を営んでいる「日本という空間」に、「近代」が西欧から持ち込まれたのは江戸時代末期のこと。ここで西欧列強による植民地化を防ぐために、「明治という近代/国民国家」を作った。追いつくために、制度的には確かに西欧の文明を取り入れた。(実は初代の文部大臣の森有礼は、西欧に追いつくために「英語」を公用語化することを検討していた。外交官だった森は、アメリカ赴任中にアメリカ人の友人に相談したら、「やめた方がいい」と助言されて断念した。このアメリカ人に我々は感謝しなければなるまい。)

 しかし、「和魂洋才」という言葉が象徴するように、「考え方/価値観」は日本古来のもの、つまり「ムラ」を残した。第二次世界大戦の敗戦で、米国の進駐軍は日本に社会を持ち込もうとして、ムラを統合してきた旧勢力の排除に動いた。それが、「農地解放」や「財閥解体」であり、あるいは「パージ」だった。(無論、GHQ草案の「日本国憲法」もその一環だ。)ところが、ソ連との間で世界規模の「東西冷戦」が始まり、朝鮮戦争が勃発して、アメリカは日本の旧勢力の力を借りなければならなくなり、改革は中途半端なまま終わってしまった。そして、名著「空気の研究」で山本七平氏が指摘した「空気」が支配する「ムラ」がしぶとく生き残ってしまったのだ。(「教育改革」は未完だったのか、それとも完成したのか、意見の分かれるところだろう。「自主性」を尊ぶ教育が開始できなかった点では未完だが、「自主性」が無かったために、アメリカの政策を唯々諾々と受けいれてきた訳だから、「占領政策」として大成功だ、という評価もできる。)

 「ムラ」が残って、「社会」が機能しないと何が問題なのだろうか。第一に東北大震災で明らかになった「人災」の問題だ。これだけ大規模で、しかも情報のスピードが早くなった中で、「社会」という大規模な集団を「ムラ」の論理でやって行こうと言うのは所詮ムリな話なのだ。「人災」はそのリスクが顕在化した問題だ。第二に、「民主主義」は「社会」の存在を前提にしている。より正確に言うなら、「社会」は「市民」というメンバーによって初めて健全に運営される。従って、日本が「民主主義」を採用するなら、「市民」を育成し、「健全な社会」を建設しなければ論理が一貫しない。「民主主義」はこれまで同様、飽くまでタテマエでいい、という選択も無いではないが、少なくとも「国際的には信用ならない劣等国のままでもいい」という覚悟が必要だ。この点から、第三の「国際社会との関わり」という問題が生ずる。1990年代以降、国民国家を前提にした20世紀は終焉した。既に国内問題は、国内だけで片付かなくなっており、日本もその例外ではない。かつて雇用問題は国内問題だったが、リーマンショックで失業は確実に増えたではないか。逆に日本の国内問題が、国際社会に影響を与える。「健全な社会」を形成することは、国際社会の一員としての義務となっているのだ。

 ここまで、「健全な社会」の確立が如何に重要かを述べてきた。これなしに、健全な民主主義国家は存在しない。そして、この問題は、文化に関わる問題であり、制度的なアプローチのみで解決がつく問題ではない。人材を育成する「教育」の問題なのだ。具体的な解決方法については、第二部「政策」の「スポーツマンシップ教育」のところで述べるが、2012年の末に「スポーツマンシップ指導者」育成のためのNPOを設立したことには触れておこう。

 このNPOは、東北大震災の後に「人災」が指摘され、にも関わらず対応すべき教育に着手されないので、創立した。年が明け、2013年にいよいよ活動を本格化すべく作戦を練っている時に、「知事選出馬」を打診され、これまで考えてきたことが知事になると実現できると思った。これが出馬した一番の理由だった。

と、こんな生い立ちで、こんなコトを考えている時に、「知事選出馬」の話が舞い込んできたというワケだ。

 

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日時: 2013.08.20|