連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No33 自治体と国の違い 2013/0825

 話を元に戻そう。知事の仕事について、だ。県の予算全体の4分の3は、「継続作業」と「国からの移管業務」だ。つまり、誰が知事になろうと、行政の仕事の4分の3は変らないと思っていい。残り4分の1が知事の裁量で決まる。静岡県の予算は約1兆2千億円だから、知事は約3千億円を自分独自の政策に使える。従って、ここが選挙中の政策として争うべき部分となるはずだ。(と信じていたけど、真面目すぎたなあ。)

 地方自治体と中央政府とはどこが違うのか。国家とは、基本的に「国民の生命と財産を守るための制度・組織」だ。歴史的には、17世紀の欧州において、三十年戦争の戦後処理の際、交渉の主体として「国家」が主役を勤めることになった。ウエストファリア条約に調印する主体として会議に参加したメンバーに共通する制度、それが近代国家という概念のスタート地点だ。つまり、そもそも国家という存在の前提には、国際紛争があったのだ。(換言すれば、「国際紛争が無ければ、国家という存在は不要」とも言える。)従って、原理的には軍備を持ち、交戦権を持つ。いいか悪いか(=当為)は別にして、歴史的に(近代)国家という概念の元を辿ると、事実としてそういうことが明らかになる。

 決して自然にできたものではなく、あとから人工的に作ったこの国家」という概念を補強するために「国民」という考えを確立し、啓蒙した。「国民」というのも人工的な概念で、これを補強するために一見自然な「民族」という考えを持ち出した。が、「民族」もかなり怪しい。(例えば、統計学的に言えば、ドイツ人の8割くらいにはユダヤ系の血が入っている、と言われている。ヒトラーの遺伝子を正確に調べる技術が当時あれば、歴史は変っていたかもしれない。)所詮これらは人工的だから、不自然だ。我々は「国民」をあたかも自然な概念だと思わされているが、こういった状態は「国民を養成する学校教育」の勝利を意味する。

 例えば、「国民」の資格要件としての「国語」の問題だってそうだ。ナポレオン・ボナパルトが誕生した時点ではシシリー島はイタリア領であったから、当然ナポレオンは幼少期にはイタリア語で育った。そして終世、フランス語が下手だったと言われている。いかに「国語」という概念が不自然かを物語っているエピソードではないだろうか。

 

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日時: 2013.08.26|