連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No.46 「スポーツマンシップ教育」による「人格教育」 2013/0912

 我が国において、今ほど「人格教育」が必要な時はない、と心から思う。10年ほど前からスポーツマンシップ教育を通した人格教育の普及を唱えてきた。2003年には「スポーツマンシップを考える」という本を上梓した。同時に、小学校で授業を行い、その様子を撮影し、DVDにして全国の小学校23000校余りに配布した。(現在、この録画はスポーツ総合研究所のHPで無料公開している。)大学では「スポーツマンシップ論」という講義を開始した。多摩大学では、最初は100名を越える「スポーツ好きな学生」が履修を希望し、教室はほぼ満杯になる。が、翌週には半分に減り、最終的には3分の1くらいになる。立教大学でも、ほぼ同数になる。名前はスポーツマンシップだが、「自己客観化」「戦略的思考」「コミュニケーション」「課題設定」「フレーム思考」「クリティカル・シンキング」などのトレーニングを3ヶ月の間に施す。一言で言うなら「自己啓発」と言ってもいいだろうし、「Life-skill」という言い方もできる。大学一年生対象であれば、「知識(ナレッジ)を習得するための知識」、つまり「メタ・ナレッジ」に重点を置く。スポーツマンという当事者意識の高い「覚醒した人格」の習得を目指す講義になる。

 2010年に民主党政権で菅直人氏が首相になった時に、嫌な予感がした。「リーダーシップの無い人間が一国の総理大臣になった」という事実にショックを受けた。(後になって、同様な危機感を抱いた人がずいぶん多くいたことが判明した。)そして、東洋経済新報社のメルマガでコラムの連載を開始し、事態について警鐘を鳴らした。連載4回目は「茹で蛙」というテーマだった。過剰適応によって周囲の事態の変異に気づかないことが、大きなリスクになり致命的な事態になりかねない、と伝えたかったのである。「覚醒せよ!」という警鐘を鳴らしたつもりではあった。別に予知能力があった等と言い募るつもりはさらさらない。が、心配は的中し、それは来た。

 2011年の3月11日、東北大震災が起きた。地震と津波の「天災」による被害も然る事ながら、「原発事故」によって、日本の安全神話が崩壊した。それは端的に「人災」という言葉が象徴していたように、未然に防げたものだった。人災とは将に、「人による災害」のことだ。当時、「人災」という言葉は、この国で知らぬ者とてない程に流布された。「人口に膾炙した」のだ。では、その後「人災」に対する備えは進んだろうか?あれから2年以上経っているが、「人災」への対処がどこかでなされた、という話を寡聞にして聞いたことがない。「人災」のリスクは何も減っていないにも関わらず、「人災」という言葉は、巷から消えつつある。まさに「人災」の何たるか、がこのような事態にこそ現れていると言っていいだろう。人災とは「人の意識」によって生ずる。意識が覚醒しないことが「人災」の始まりでなのだ。

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日時: 2013.09.12|