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ポスト戦後政治への対抗軸

山口二郎の「ポスト戦後政治への対抗軸」を読む。
「ポスト戦後政治」とは55年体制終焉後と考えていいだろう。
中選挙区から小選挙区への以降が55年体制にとどめを指した。
では、「ポスト」という現象を著す言葉以外に
具体的には何が誕生したのか?
これが本書の投げかけるテーマである。

結論は見えている。
何も生み出してはいない、である。
現象や状況は変わった。
が、それは何か統合的な戦略に基づいたものではない。

典型は「規制緩和」である。
この言葉が登場してしばらくは、価値言葉として機能した。
それが小泉の「構造改革」に繋がっていった。
「構造改革」自体には大した意味は無い。
従来のものを変えるというのみだ。
問題は「どのように変える」のかであるのは自明だ。
残念ながら、前述したように「統合的な戦略が欠如」したまま、
「改革」が一人歩きした。
「郵政民営化」を問う衆院選がその「大ボケ」の頂点だった。
郵政民営化自体には意味も価値も無い。
それは「道路公団」の「民営化」という茶番の末の現在の形が証明している。
「民営化」というのは「方法論」でしかないのだ。
ある目的を達成するために「民営化」が最適であるなら
「民営化」すればいいのである。

我々の議論に何が足りなかったのか、
山口自身は旧社会党系のブレインであったが
自戒を込めて振り返る。
少なくとも明治以来、ということはつまり、
日本という国民国家が誕生して以来一度として
我々は主体的に戦略を策定した経験が無い。
常に状況対応でしかなく、
ある理念に向けた統合的な戦略などした覚えは無いではないか。
「臥薪嘗胆」にせよ「追いつけ、追い越せ」にせよ、
所詮、状況への対応でしかなかったのである。
我々は一度として「かくあるべし」という理念を持とうとしたことすら無い。
そういう国民だということは自覚したほうがいい。

これは事実認識の問題である。
それがいいかどうか、つまり当為の問題は次に考えることになる。

「いいわけがない」のであるなら、
なぜできなかったか、の分析をすべきである。

個人的には「無理じゃないかな」と考える。
ただし、それは未来永劫ではない。
まずは適切な状況対応に集中すべきだろう。
それができた後に、国家としての統合された戦略策定の能力を備えることができるのではないか。
ま、飽くまで希望的な観測だが。
希望的に言っても、それには数十年の時を要すだろうと思う。

現在の社会状況と政治状況に至った過程を
いつものように明晰な分析で語る山口の本を読みながら
こんな感慨を持ったのであった。

日時: 2008年02月11日 23:15 |

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