TSS「スポーツ総合研究所」

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スポーツマンシップに関する「新書」

今朝、以下を書いた

§5.質問に答える

Q:スポーツマンシップというのは綺麗事でしかないのでは?

A: 以下は大学生たちから寄せられた質問や意見の代表例です。
・「スポーツマンシップに則って」は大会の選手宣誓で使われる定番の言葉だけど、勝つためには絶対則ってはいけない理想論。
・本来教えるべき体育の先生が一番守ってない気がする…(スポーツはとにかく勝負。特に強い部の先生はどんな手でも勝たなければいけない、と教える先生も)
・「勝つ」ということを絶対目標にしている日本のスポーツでは、180°違う考え方で、「勝つ」と「スポーツマンシップ」が共存できるとは思えない

 これらから、「勝つ」と「楽しむ」の共存が本当に困難であることが分かります。
 最初に指摘しておきたいのは、「スポーツマンシップ」の正しい理解について。「勝つこと」と「スポーツマンシップ」は共存できるか、という問いは、スポーツマンシップに関する誤解から来る疑問です。整理しましょう。
1) スポーツは、「ルール」基づいて「競う」「ゲーム」形式の運動です。
2) 「ゲーム」は、「勝つ」ことを目的にした「遊び」です。
3) 従って、スポーツは「勝利を目指すこと」と「ルールに基づき」「遊ぶ」ことの全ての要素が入っています。逆にこれらのどれか一つでも欠いたら「スポーツ」ではありません。
つまり。「スポーツ」をするのか、それとも「勝敗に徹するのか」、というのが正しい質問です。どちらが難しいか、どちらがやさしいか、一目瞭然ですね。スポーツをすることは、単純ではなく、複雑で難しいのです。
この複雑さを克服するために必要な態度や考え方が、「尊重」だと言えるでしょう。

Q:一体、なぜそんなに面倒くさいことを考えなければならないのか?もっと単純に楽しんだり、勝つことだけに徹してはいけないのか?

A:これは「正しいかどうか?」(=当為)の問題ではなく、「スポーツをしたいのかどうか?」という選択の問題です。(ただし、学校でスポーツをするのは「スポーツ」が授業の科目になっているのであれば、選択の余地はなくスポーツをしなければなりません。)
ただし、あなたが「野球」や「サッカー」をしたいのであれば、それらがスポーツである以上、あなたは「スポーツをする」という選択をしたのであり、その選択に伴う義務を果たさなければなりません。つまり、スポーツをしなければなりません。スポーツをしているフリをするのは、自分と、その競技に関わっている人全員に対して偽った行為をしていることに他なりません。
  「§2.スポーツマンシップとは何か」でも述べたように、そもそもスポーツには価値があり、その価値に基づいて「スポーツに勝つ価値」が成り立っています。スポーツの競技者には、競技をする前提としてこれらをわきまえておく必要があります。これらの理解は、いわば「スポーツへの参加資格」なのです。その理解とは、単に「知っている」だけではなく、その価値を認め、自らがその価値を作り出すことに関わる覚悟を持っていることが必要になります。その価値を認めることが「尊重」であり、その覚悟が「スポーツマンシップ」なのです。
 となると、「スポーツはするけど、スポーツマンシップは守らない」ということは不可能です。「スポーツマンシップという覚悟」を持たずにスポーツをすることが不可能だからです。問題は「綺麗事かどうか?」ではなく、「覚悟はあるのか?」なのです。「覚悟はない」のであれば、スポーツをする資格を失うだけなのです。「勝つことのみ」を優先する強い部の監督は、自分で「スポーツをしていない」ことに気づいていないだけなのです。「知らない」ということは恐ろしいことですね。
 重ねて述べますが、
・ 「勝つこと」に価値が無ければ、「勝つこと」を目指すのはナンセンスです。
・ 「勝つこと」の価値を知らないで「勝つこと」を目指すのも同様にナンセンスです。
・ 「勝つこと」のみ優先すること、手段を選ばずに勝つことは、「勝つこと」の価値を壊す行為ですから、全く馬鹿げた行為なのです。

Q:それにも関わらず、なぜこういった馬鹿げた行為が横行しているのでしょうか?

A:「自分だけがやってもたいしたことは無い」と考えている人が多いからです。
 「ルール違反を参加者全員がやり始めたらどうなるか?」と想像してみてください。ひどいことになるのは明瞭です。もし疑うのであれば、1度で結構です。参加者全員に「今回はルール違反を認める」と宣言して競技をしてみてください。楽しくなるはずがないでしょう。勝って嬉しいはずがないでしょう。となると、「勝つためにには手段を選ばばず、ルール違反も辞さず」と考えている人は、自分だけの目こぼしを期待していることになります。「自分だけはバレナイのではないか」と期待して行動することが、どんなことになるか。「社会保険庁の問題」「食品偽装問題」「建築設計書偽装問題」と、類例は枚挙に暇がありません。これらの問題をしでかした当人達の全員が「自分だけはバレナイ」と期待したのではないですか?そういう人間になりたいのでしょうか?そういう人間を増やしたいのでしょうか?そういう人間を育てたいのでしょうか?自問すべいきでしょう。「スポーツマンシップは守らなくてもいい綺麗事」だと考えている人の多くは、その考えがこれらと共通していることに気づいていません。あるいは無自覚なまま、事実から目をそらしています。だとすると「卑怯者」の謗りを免れないでしょうね。

日時: 2008年03月10日 11:17 |

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