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スポーツマンシップを「学ぶ」ということ

 スポーツマンシップという知識を得たら、それを知った各個人の行動に反映されなければならない。それは原理である以上、全てに反映されるものである。それを否定するのであれば、逆に問おう。その知識は何のために学ぶのか、と。スポーツマンシップの価値に興味が無ければ、学ぼうとはしなかったはずである。「スポーツマンシップは、それぞれが個人として判断すべきであり、一義的に定義し、それを押しつけるのは間違いである。」と言った、賢しらな意見を述べるものがいる。この意見は2つの点から言って誤りである。

 第一に、定義の一義性と、行動のそれとを混同している。原理とは、一義的に行動を規定するものではない。「人を愛せよ」という原理によって、行動は一つにはならない。「夫婦は男女が愛し合い、生活する契約関係である」という原理があるが、夫婦のあり方は千差万別である。原理とは」そういうものである。「嘘をつくことはいけない」という原理は誰もが知っていることである。この原理と、「嘘をつく方がいい場合もある」と認めることは何ら矛盾しないのである。(子供はこの加減が分からないので、原理のみを教えればいい。逆に、この加減が分からないのであれば、子供であると評価されても文句は言えまい。)

 第二の誤りは、「スポーツマンシップの定義は、個々人ですべきであり、統一すべきではない」という主張は、「定義」の意味が分かっていないのみならず、自分の発言の無意味性に気づいていない点にある。「統一しない定義」とは、何を指しているのだろうか?言語矛盾である。また、「スポーツマンシップの定義が個々人別々でいい」のであれば、その意見表明自体が無意味である。「スポーツマンシップの原理的な定義」を聞いたら、心の中で「ふーん。でも私は違う」と思っていればいい。何も不同意の表明は不要ではないか。不同意の表明自体が、自分の意見への同意を求める行為ではないだろうか。

 以上で、不毛な意見表明者の不毛さに関する証明は終了するが、こういう非生産的な愚論を述べるものには、スポーツマンシップを知識として学ぶための当事者能力が備わっていない、という点を最後に明らかにしておこう。

日時: 2010年07月19日 18:05 |

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