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   <title>スポーツ総合研究所 Blog</title>
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   <updated>2010-07-21T00:29:05Z</updated>
   <subtitle>スポーツ総合研究所のウェブログです。
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   <title>知的武装の戦略ーーーその１</title>
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   <published>2010-07-21T00:26:23Z</published>
   <updated>2010-07-21T00:29:05Z</updated>
   
   <summary>●「ロジカルに考え、行動する」とは？ 「ロジカル」であることと「成功する」ことの...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sports-soken.com/blog/">
      ●「ロジカルに考え、行動する」とは？
「ロジカル」であることと「成功する」ことの関係は、
１）「ロジカル」で「成功する」ことが望ましいが、絶対ではない。
２）「ロジカル」だが「成功しない」こともあるし、
３）「ロジカル」ではないが、「成功する」こともある。
４）「ロジカル」ではなく、「失敗」するのは論外で、選択肢にはない。
人生における重要な問題の多くには「ロジカルな正解」がない。
これは「ロジカルに考えるのは無駄だ」ということを意味するだろうか？

この点については、それなりの意見もあるが、ここでは述べない。
そもそもこういった疑問を持つ時点で、当該者の生き方には大きな疑問符がつく。
そういった質問に対して、正直に言えば、取り合う気にならないのである。
それば生き方の問題だからだ。自分の生き方を他人に聞くようでは見込みは無い。
従って、答えは「自分で考えろ」でしかない。

ただし、あらゆる問題について、前提を疑うことは間違いではないので、「そもそも、ロジカルでなければいけない理由はあるのか？」という疑問を抱くこと自体は、大いに結構。見込みはある。
が、「正解がない」問題にどう対処すべきか？あるいは、価値観そのものを問う問題にどう対処すべきか、という点に辿りついた後の処し方で、大きな差が出ることになる。
      
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   <title>2010年の全英オープンにおける石川遼の発言に観る「戦略」</title>
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   <published>2010-07-19T09:08:43Z</published>
   <updated>2010-07-19T09:09:24Z</updated>
   
   <summary> 　2010年のゴルフ全英オープンは、ゴルフの聖地セントアンドリュースで行われた...</summary>
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　2010年のゴルフ全英オープンは、ゴルフの聖地セントアンドリュースで行われた。
この大会の最大の焦点は、「タイガーウッズの復活」であった。セントアンドリュースにおいて、タイガーは2連勝しており、3連勝のみならず、セントアンドリュースを3回制したゴルファーも過去にいないのであるから、当然であった。残念ながら、タイガーの3連覇はならなかったが。
　日本のゴルフ・ファンにとって、もう一つの注目は、若干18歳の石川遼が、ゴルフの聖地でどのようなプレーをするのか、であった。石川は2日目を終えトータルー４で、ラクラクを予選を通過。最終日の上位争いの一角に食い込むか、と期待されたが、最終的にはー２で29位タイという成績で終わった。
　しかし、成績以上のプレー、あるいは戦略を見せた石川であった。第一に、「メジャートーナメントで4日間のプレーをする」とう戦略である。同年の全米オープンで予選を2位タイという驚異的な成績で通過した石川であったが、後半は急に失速。後に「走りながらゴルフをしているような感じで心臓がバクバクした」とその状態を表した。メジャーで4日間戦うための資源配分が必要であることを学んだのであり、それは2ヶ月後の全英で見事に果たした。4日間、ショットがほとんどブレなかったのである。
　一方、ショットの良さに引き換え、パターの悪さが目立ち、トータルとしてメジャー大会でトップを争うには力量不足であることを露呈した。この点に関しては、4日間のプレー終了後に自らが認めているが、「パターなどのショートゲームは、まだ次の課題として未着手であるので、それは気にならなかった」と言ったのである。それは負け惜しみなどではなかったと思う。と言うのも、パターがあれだけ悪ければ、ショットにも影響するはずだが、ついにショットは4日間を通してブレナカッタかｔらである。石川は「やるべき課題間に優先順位をつける」つまり、「やらないことを決めていた」のである。これこそが戦略に他ならない。石川が世界のトップに伍して戦う日は、案外近いのではないか、と期待させる四日間であった。

      
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   <title>スポーツマンシップを「学ぶ」ということ</title>
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   <published>2010-07-19T09:05:53Z</published>
   <updated>2010-07-19T09:07:40Z</updated>
   
   <summary>　スポーツマンシップという知識を得たら、それを知った各個人の行動に反映されなけれ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sports-soken.com/blog/">
      　スポーツマンシップという知識を得たら、それを知った各個人の行動に反映されなければならない。それは原理である以上、全てに反映されるものである。それを否定するのであれば、逆に問おう。その知識は何のために学ぶのか、と。スポーツマンシップの価値に興味が無ければ、学ぼうとはしなかったはずである。「スポーツマンシップは、それぞれが個人として判断すべきであり、一義的に定義し、それを押しつけるのは間違いである。」と言った、賢しらな意見を述べるものがいる。この意見は２つの点から言って誤りである。

　第一に、定義の一義性と、行動のそれとを混同している。原理とは、一義的に行動を規定するものではない。「人を愛せよ」という原理によって、行動は一つにはならない。「夫婦は男女が愛し合い、生活する契約関係である」という原理があるが、夫婦のあり方は千差万別である。原理とは」そういうものである。「嘘をつくことはいけない」という原理は誰もが知っていることである。この原理と、「嘘をつく方がいい場合もある」と認めることは何ら矛盾しないのである。（子供はこの加減が分からないので、原理のみを教えればいい。逆に、この加減が分からないのであれば、子供であると評価されても文句は言えまい。）

　第二の誤りは、「スポーツマンシップの定義は、個々人ですべきであり、統一すべきではない」という主張は、「定義」の意味が分かっていないのみならず、自分の発言の無意味性に気づいていない点にある。「統一しない定義」とは、何を指しているのだろうか？言語矛盾である。また、「スポーツマンシップの定義が個々人別々でいい」のであれば、その意見表明自体が無意味である。「スポーツマンシップの原理的な定義」を聞いたら、心の中で「ふーん。でも私は違う」と思っていればいい。何も不同意の表明は不要ではないか。不同意の表明自体が、自分の意見への同意を求める行為ではないだろうか。

　以上で、不毛な意見表明者の不毛さに関する証明は終了するが、こういう非生産的な愚論を述べるものには、スポーツマンシップを知識として学ぶための当事者能力が備わっていない、という点を最後に明らかにしておこう。

      
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   <title>これからの正義</title>
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   <published>2010-07-16T01:20:28Z</published>
   <updated>2010-07-16T01:24:39Z</updated>
   
   <summary>「これからの正義についての話」という本を読んだ。 ハーバードで最も人気の高い政治...</summary>
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      「これからの正義についての話」という本を読んだ。
ハーバードで最も人気の高い政治哲学の講義録がベースになっている。
 
著者のマイケル・サンデル教授の問題意識は、
「現代における『市場／功利主義』の侵食
あるいは「市場と公共性のトレードオフ問題」

当方の爾来の問題意識との共通点が多く、楽しめ、かつ励まされた。
 
サンデル教授が「政治」で解決したい／すべきと考えていることを
当方は「スポーツ（マンシップ）」で解決すべく取り組んでいる
と言っていいかと思う。

現実的に考えるならば、
今日の日本では当方の戦略の方がより現実的かた効果的だという確信がある。。
      
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   <title>メディアのアカウンタビリティー（総括）</title>
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   <published>2010-07-15T00:25:51Z</published>
   <updated>2010-07-15T00:33:17Z</updated>
   
   <summary>以前書いたように、 ６月１２日（土）に広瀬は「新・週刊フジテレビ批評」に出演。 ...</summary>
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      以前書いたように、
６月１２日（土）に広瀬は「新・週刊フジテレビ批評」に出演。 
「Ｗカップのテレビ報道」に関して語った。
その中で「14日の初戦、対カメルーン戦に勝ったら、
恐らく、岡田ジャパンに対するメディアの評価は激変するだろう」
とコメント。その後、メディアの“手のひら返し”は現実になった。
 
そこで、
フジテレビから7月10日の同番組でこの状況について語るよう依頼があり、
「メディアのアカウンタビリティー（説明責任）と私たちのメディアリテラシー」
というテーマで語った。
 
多摩大学の広瀬ゼミでは、メディアの論調の推移を数値化し、グラフ化。
（スポーツ総研のＨＰにアップしてある。）
2010年になってから対パラグアイ戦まで、
練習試合のジンバブエ戦を除いて12回の国際ゲーをした。
その翌日の新聞の論調を、
「激賞＝２、評価＝１、可不可なし＝０、辛口＝－１、酷評＝－２」
の5段階で、8つのメディアにについて8名が主観的に分析し、数値化。
13回の論評をグラフ上にプロットし、線でつなげたのがこのグラフである。
「赤はスポーツ紙の平均、青が一般紙、黒は雑誌（翌週）」。
できあがったグラフを番組内で表示した。
（番組ではトレンドを明らかにするため、雑誌は削除。）
 
結果として
１）「カメルーン戦の勝利」を境に、論調が激変。（つまり“手のひら返し”）
２）メディア間に差がなかった。（大衆迎合的だとも考えられる。）
 
今や岡田ジャパンはヒーローであり、メディア各社は競って
「岡ちゃんゴメンネ」コール。
しかしながら、メディアは謝罪の必要があるのだろうか？
事前に低い評価を得たチーム戦術およびメンバーは、最終的に変わっている以上、
メディアの評価は正しかったと言えなくもない。
（指摘内容に誤りは多かったし、
批判の仕方にリスペクトを欠いて、
単に扇情的に書いていたメディアが無かったとは言えないが、
それはこの際触れない。なぜなら、触れても治らないから。
ま、不治の病だな。）
 
問題は、事前の酷評も、事後の絶賛・激賞も、
情緒的な判断に流れていなかったか、という点である。
プロであるなら「専門性」と「客観性」が求められるはずである。
そして、事後に「何が間違っていたのか」「それは何が原因か」
という点について検証すべきであろう。
それなしで、「旗色が悪いから誤っちゃえ」的な対応は不毛であり、
4年後に同じことが繰り返されると想像される。
 
蛇足であるが、
以上について、最も正確に理解しているのは、一方の当事者の岡田氏であろう。
何しろ、97年末の「ジョホールバルの歓喜」で一夜にして英雄となったが、
その直前は各紙が「岡田では本大会に行けない」のであったからだ。
となると、今回の騒動も、
岡田氏にとっては単なるデ・ジャ・ブでしかなかったのかもしれない。
      
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   <title>新・週刊フジテレビ批評</title>
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   <published>2010-07-11T18:11:18Z</published>
   <updated>2010-07-11T18:16:12Z</updated>
   
   <summary>土曜の早朝の番組で指摘したが、 今年のメディアの論調が全く同じであったことが 多...</summary>
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      土曜の早朝の番組で指摘したが、
今年のメディアの論調が全く同じであったことが
多摩大学のゼミで調査した結果、判明した。

やはり、ね、なのだ。

12試合の翌日のスポーツ新聞と一般紙の論調を
5段階で評価し、プロットすると、全く同じ線グラフになる。
5段階評価は、8人の学生の主観に任せたのに、である。
（このグラフはスポーツ総研のＨＰにアップする予定）

専門家であれば、皆が同じ意見のときは、
危険だと察知するべきじゃないの？
      
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   <title>メディアのアカウンタビリティー</title>
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   <published>2010-07-11T17:58:14Z</published>
   <updated>2010-07-11T18:10:47Z</updated>
   
   <summary>土曜の朝、ＣＸの番組で言ったこと。 「メディアは事前にあれだけ岡田をたたいた。 ...</summary>
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      土曜の朝、ＣＸの番組で言ったこと。

「メディアは事前にあれだけ岡田をたたいた。
今は、”手のひら返し”の岡ちゃんゴメンネ合戦。

謝罪とは何に対してか？
事前に”今のままでは勝てない”
と評したことは当たっていたであろう。
岡田監督もそれが分かって変えた。
変えたのは岡田監督である以上、
指摘は正しかった、とも言えるのだ。

旗色が悪いから謝っちゃえ、
というのでは、事前の批判も
”この際、叩いた方が向こう受けがいいよね”
なのか、あるいは、
素人同様に、冷静な判断を欠いた判断で
情緒的な批判をしてしまった、
と自ら認めているに等しい。

評価を変えたのであれば、
「なぜ、変えたのか？
どこを変えたのか（＝どこが変わっていないのか）。
間違ったのはどこか（間違っていなかったのは、どこか）」
以上を冷静に分析し、自己評価したうえで明らかにすること。
これがメディアのアカウンタビリティーに他ならない。

情緒的な謝罪は、かつての一億総懺悔を思い起こさせる。
それは情緒的な批判の裏返しでしかない。
そして、そこからは何も生産的な言説が生まれず、
4年後にまた同じことが繰り返される、と予想される。
実に暗澹たるメディアの実情ではないか。

12年前に岡田監督はそれを知ってしまった。
周り（メディア）に左右されない、
動じないチームはそこから生まれた、としたら、
非生産的なメディア言説側は、テレ笑いしながら
「ゴメンネ」と謝るのしか無いのだろうか。
      
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   <title>いよいよ決勝</title>
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   <published>2010-07-11T17:54:58Z</published>
   <updated>2010-07-11T17:57:36Z</updated>
   
   <summary>「クラブ対代表」という構図？ ヒデがおもしろいことを言ってる。 （ＮＨＫ教育） ...</summary>
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      「クラブ対代表」という構図？

ヒデがおもしろいことを言ってる。
（ＮＨＫ教育）

なるほど、なあ、と。

キックオフまで30分。

日本人としてはオランダの勝利を期待する方が多いんだろうが・・・・。
      
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   <title>決勝組み合わせ決定！</title>
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   <published>2010-07-08T00:27:27Z</published>
   <updated>2010-07-08T00:32:02Z</updated>
   
   <summary>オランダ対スペインねえ、 いい組み合わせじゃないか。 勝った方がＷカップを制す８...</summary>
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      オランダ対スペインねえ、
いい組み合わせじゃないか。

勝った方がＷカップを制す８番目の国になる。
盛り上がらないわけがない。

ドイツ対スペイン、いいゲームだった。
ミュラーの欠場がドイツは痛かったけど。

唯一のミソが日テレのアナウンサー。
基本的に五月蠅いし、
言ってる内容がアホ―。
「スペインの選手が小さいし、
パスサッカーだから、
日本はこれをお手本にしましょう」ってか？
アホウでしょ。

こんなことができるなら、やってるって！
      
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   <title>「岡ちゃん、ゴメンネ」について、再考</title>
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   <published>2010-07-06T16:47:29Z</published>
   <updated>2010-07-06T17:16:38Z</updated>
   
   <summary>メディアが謝罪するのは、どのような場合か？ 第一に「誤報」問題。 記事の捏造など...</summary>
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      メディアが謝罪するのは、どのような場合か？

第一に「誤報」問題。
記事の捏造などは論外だが、広く「誤報」問題の範疇に入れよう。
いずれも報道機関としては致命的。
今回、岡田ジャパンについて「誤報」があったろうか？
そこは未検証だが、「事実」についての誤報は無かったんじゃなかろうか。

第二に、「解釈」の誤り。
これは、微妙な問題だ。
逃げようとすれば、いくらでも言い逃れは可能。
岡田ジャパンの現状と展望について、
本番前の各メディアの「ダメ出し」は、読み間違いだったのだろうか？
直前の変更が「功を奏した」以上、「ダメ出し」の指摘は正しかった、
とする解釈は十分説得力がある。
必ずしも「言い逃れ」ではあるまい。

第三のケースは、報道漏れ。
報道すべきことを、報道しなかった。
あった、と思う。

第四は、逆に過剰報道。
大したことがないものを、扇情的に扱ったケース。
これの典型が、「岡田監督の進退伺い」問題である。
某紙は二日に渡って、「出した」「撤回」と一面で扱った。
はっきり言おう。「バカ」である。
意図が不明で混乱している。
スキャンダリズムは、スポーツ紙にとって、「天に唾する行為」である。
一時の向こう受け狙いが、スポーツの価値を毀損するのであれば、
自己否定であり、致命的だ。
「尊重」を欠くと、スポーツは死ぬ。
マラドーナ監督が会見で、
「お前ら、もうちょっと選手たちに敬意を払えよ」
と記者達に向かって吐いたのは、正鵠を射ているのだ。
（天才は感覚的に本質をつかむ！）

以上を総括すると、メディアは、
「尊重」を欠いた報道について、選手や監督のみならず
ファンも含めた全ステークホルダーに謝罪すべきであろう。
「何について」「誰に対して」の謝罪か、はっきりしないまま、
「何か旗色悪いし、謝っちゃえ」的な対応は、
矜持の無さを露呈し、事態を更に深刻化させる。
「メディアの信用失墜」が進行するだけの仕儀に陥るはずだ。

かくなる事態で、敢えてポジティブな面を見ようとすれば、
我々、読者側の学習能力に期待しよう。
メディアリテラシー(＝メディアを疑え！）の確立に一歩前進。
（したかなあ・・・・？）
      
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   <published>2010-07-04T15:00:09Z</published>
   <updated>2010-07-04T15:03:55Z</updated>
   
   <summary>ここ数日の代表関連のニュースやインタビューを できるだけ観るようにした。 大筋の...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sports-soken.com/blog/">
      ここ数日の代表関連のニュースやインタビューを
できるだけ観るようにした。
大筋の流れが理解できたような気がする。
 
知りたかったのは、以下の２つ。
いつ頃、なぜ（何がきっかけで）、戦術及び選手起用を変更したのか？
あれだけ短期間に、その変更が成功したのはなぜか？
 
監督の頭の中にはかなり以前から、「守備的な布陣」は一つの選択肢としてあっただろう。
しかし、今年になって東アジアでも、セルビア戦でも、韓国戦でも試していない。
ここで試さなかったのは何故なんだろうか？
勝手に忖度するなら、「踏ん切りがつかなかった」んではなかろうか？
一つには、それまでの蓄積を捨てるリスクがある。
この点は、選手にも強かったんじゃないかな。
「まだ、もう少し頑張れば何とかなるだろう。」という希望があった。
 
一縷の望みは、イングランド戦で「希望」になったが、
コートジボアール戦で、その希望が粉々になった。
 
選手たちにも「このままじゃダメだ」という危機感が生まれ
それが「踏ん切り」の契機となった。
 
急遽組んだジンバブエ戦で、本田の１トップの形がある程度機能した。
特に、阿部の１ボランチで守備は機能していた。
 
ほぼぶっつけ本番、おっかなびっくりで臨んだ初戦のカメルーンで勝利した。
本田の先制点と、初戦の勝点３で、チームに新しい戦術に関し自信が生まれ、
オランダを１失点に抑え、確信になった。
 
それが、デンマーク戦の最高のパフォーマンスにつながった。
 と、こんな流れで理解した。

長谷部のお祖母さんが、うちのお袋の詩吟の孫弟子だとか。
拙著「スポーツマンシップ立国論」を実家かに送ってもらった。
いい後輩を持って鼻が高いぜ。

      
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   <title>南アのＷカップはエピソード満載だなあ</title>
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   <published>2010-07-02T13:05:44Z</published>
   <updated>2010-07-02T13:26:49Z</updated>
   
   <summary>パラグアイ戦、ＰＫ戦の決着後、 パラグアイの選手が駒野を慰めていた。   本田は...</summary>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sports-soken.com/blog/">
      パラグアイ戦、ＰＫ戦の決着後、
パラグアイの選手が駒野を慰めていた。
 
本田は翌日のインタビューで、
「我々を応援してくれた人も
批判した人も、全て、我々にとって大切な存在でした。」
 
長友はＢｌｏｇで
「成功とは成果にあるのではなく、そこに至る日々のプロセスにある。」
だと。哲学者だなあ。
（マラドーナは文学者、あるいは詩人だった。９

ところで、と。
最近になって、スポーツマンシップってのは本当に大変だと、つくづく思う。
本を書いたり、講演をしたりすると、
会う人の中で「共感しました」と言ってくれる人は少なくない。

ところが、だ。
行動した人は１％もいない。
実行の無いものはスポーツマンとは言わない、と聞いているのに、だ。
最近はおほ褒めいただいても、全く嬉しくない。
「全く」、Not at all!　、全然、これっぱっかしも、だ。

２か月ほど前に、「スポーツマンシップ立国論」を上梓した。
ここから何かを起こそうと思っているし、今も行動中だ。
Ｓ氏という方が、「社長として、社員に読ませる」と言って３０冊買ってくれた。
以上、終了、である。
他に動いた奴が一人としていないじゃないか。
それが現実。

「共感した」だと？よく言うぜ、と思ってしまう。
驚くことに、読んでもいない奴がそういうことを言ったりする。
中には、本屋で１０分くらで飛ばし読みした、
といけしゃあしゃあと言う奴さえいる！！
本の売れ行きと、アマゾンのレビューを見ていれば、
口先だけの奴ばっかりだということが良く分かる。
（ちなみにアマゾンの読者レビューはゼロ）
実に、実に、良く分かるんだよなあ。
「広瀬さん、素晴らしい本を書きましたね」
などと、著者には言うわなあ。
時候の挨拶と一緒だ。

そういう口先だけの対応を見るにつけ、
ますます、この国にスポーツマンを育成する制度を構築する意義を
重く感じ、ファイトが湧くぜ。
      
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   <title>手の平返し、総懺悔か！？</title>
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   <published>2010-07-01T00:49:37Z</published>
   <updated>2010-07-01T01:11:17Z</updated>
   
   <summary>先日のフジテレビＭｒサンデーが「岡ちゃん、ゴメンネ」特集をしたようだ。 今週も朝...</summary>
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      先日のフジテレビＭｒサンデーが「岡ちゃん、ゴメンネ」特集をしたようだ。
今週も朝番組の特ダネで、
スポーツ新聞３紙の論調の変遷を取り上げ
「手のひら返しでゴメンネ」としていた。

当方は「先々週の週刊フジテレビ批評」出演時に
「貴方がたメディアはカメルーン戦に岡田ジャパンが勝ったら、
お得意の手のひら返しを始めるんですか？」
とコメント。
実際に勝利した翌日、
「先生の予言通り、これから手のひら返しが始まります。」
と後ろめたそうなメールが届いた。

その後の展開は周知は周知の通り。
一種の自虐ネタで番組作りをする「したたかさ」には脱帽である。

某評論家氏は日曜夜のサッカーレギュラー番組で
「僕の予想がはずれて良かったねえ」だと。
言いも言ったり、である！！！

ここでちょっと立ち止まって考える必要がある。
「メディアの謝罪」という言葉だが、
謝罪とは一体「何について」「誰に謝るのか」？である。。

当然「岡田監督以下の代表でしょう」と言う人が多かろう。
そうか？

メディア及び評論家諸氏は、ここらで一度
「ご自分たちの仕事が何のためにあるのか？
と自問する必要がああるだろう。

岡田ジャパンは直前に全く違う戦法に変えたではないか。
であるなら、それまでの戦法の誤りを認めたことになる。
最初から「この戦法で行くべし」と指摘していたメディアがあれば、
それは立派なことである。

第一、「謝罪」と「誤りを認める」こととを混同してはいけない。
自分たちの不明んついては、「謝罪」ではない。
敢えて謝罪したのであれば、読者に対してであり、岡田ジャパンにではない。

もしも、岡田監督その他の人格に対する誹謗でもあったのであれば、
それは結果の如何に関わらず「謝罪」をすべきである。

何でこんな基本的な点で混乱しているのか？
それこそがメディアのアカウンタビリティー問題にとってより重症である。
つまり、自分たちの仕事は「誰にとって」「何を提供すべきなのか」が
整理されていあにで、ただ感情の赴くままに情報を編集して伝えているのではないか。
であるなら、プロフェッショナルを名乗るべきではない。

日本に健全なスポーツメディアが確立され、
競技者／ファン／メディアの関係が健全になる日、
つまり健全なるスポーツジャーナリズムが成立されるまで
もう少々、時間がかかりそうだ。
      
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   <title>日本代表のベースは見えた！か？</title>
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   <published>2010-06-27T22:59:14Z</published>
   <updated>2010-06-27T23:28:01Z</updated>
   
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      トーナメントの1次戦も半分消化した。
ここからは大会の進行が早く感じるだろう。
トーナメント以降は別の大会だ、とよく言われる。
最初の韓国対ウルグアイ戦でそれが真実であうと再認識。
ウルグアイの早さは、明日の無いゲーム用のそれだ。
観ていて殺伐とした思いすら感じる。

イングランドの最初の2失点は、余りにも脆い。
リオ様の不在の大きさを感じた。
（テリーって足が遅いんだねえ。）
疑惑のゴールが決まっていても、イングランドは負けていたろう。
ミューラーからの崩しに全く対応できていない。
サイドバックもダメだったなあ。

我が日本には明日勝ってもらい、
現在形を日本のベースとして確立させてもらいたい。

ところで、岡田監督には現在の形が既に頭の中にあったが、
選手の側が「これじゃダメだ」と納得するまで
前の（オシムの）形を継続していた、ということだったとすると、
岡田氏は我々の想像をはるかに超えた名監督だ。
（だとるすると、実に「食えない奴」だ。）
  
しかし岡田氏のカリスマが強調されればされるほど、
現在のジャパンは岡田だったから、となり、
岡田じゃなければダメだ、ということになろう。
それじゃあ日本の今後は暗い。
 
明日勝てば、完全な「勝てば官軍」で
次の監督以降、当面は岡田の影が残るはず。
デンマーク戦の再放送を観たが、実に完成度の高いチームだった。
ああいう試合を２つできれば、もう完璧に人々の頭に形として残るだろう。
（全く別のコンセプト採用して、成績が出ないときに
「岡田再起用」の声が席巻することは必定。）

現在の若手にも今のジャパンの姿がはっきりインプットされるだろうから、
現在形の踏襲はゼロベースから作った岡田監督の苦労の10分の１で済むだろう。
これが現実的な解のような気がする。
いい意味に考えれば、事実上
「岡田ジャパンが今後のジャパンのベースになる」
ということではなかろうか？
（個人的にはあの「大人のサッカー」は大いに評価するが、
素人受けするのはポゼッションしてビルドアップなんだろう。）
 
これが現実化するかどうか、は次のロンドン五輪で判明するだろう。
 
ただし、問題はアジアだ。
アジア予選で現在の形で戦うべき相手は韓国くらいだろう。
どこもポゼッションサッカーしてこないし、日本相手にしようと思う国もおらん。
 
アジアで戦う場合は別の考え方しないといけないのは大いなるハンデだ。
（これ、サイモンクーパーが「ジャパンはなぜ勝てないか」と言う本の冒頭で
指摘しているな。）


      
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   <title>なぜ我が国のサッカーは下品な奴が多いのだろうか？</title>
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   <published>2010-06-26T09:50:30Z</published>
   <updated>2010-06-26T09:55:20Z</updated>
   
   <summary>本日、オヤジサッカーに参加。 40代くらいの奴で、まだカラダが動く奴に、 動き方...</summary>
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      本日、オヤジサッカーに参加。

40代くらいの奴で、まだカラダが動く奴に、
動き方を教えてやったら、
「能書きはいい。お前に何ができるんだ！」だとう～！！！
何ｄコイツは？

どうもサッカーは頭でやるもんだということを知らないらしい。
猿とサッカーをする気は無いので、帰宅。

昔だったらその場で殴り倒していたろう。
随分と大人になっちまったなあ～。

と言うより、今は失うものが多くなったというこおｔだろう。
守りの人生になってしまったよお～。
      
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