連載「僕の知事選、奮闘記」 〜敗軍の将、兵を語る〜

連載No.49 「コッホ先生と僕らの革命」 2013/0916

 2012年の秋に公開された「コッホ先生と僕らの革命」という映画がある。実在のドイツサッカー協会創立者の物語だ。19世紀末に英国のケンブリッジ大学に留学し、ドイツ初の英語教師として祖国に帰ってきたコッホ先生が、英語の習得に有効だと考えて生徒にサッカーを教える。当時、プロシアの流れを組むドイツにおいて、学校では「体育」が教えられていた。これは明らかに軍事教練だった。これまでは「体育」という軍事教練で、先生(上官)に絶対服従していた生徒達が、サッカーというスポーツを通じて「覚醒」する。「命令に絶対服従」という従来の態度を変えることになり、父兄を戸惑わせる。少年達の精神的な向上が明らかになり、周囲を最終的に納得させる、という物語である。「スポーツ」と「体育」の対照がオモシロイ。厳格な父親に命令された息子が、父親に対して「なぜ?」と質問する。父親はすっかり戸惑い、怒り狂う。実に象徴的な場面だ。スポーツでは「なぜ?」について納得することが何より重要だ。「なぜ、ルールを守るのか?」「なぜ、審判を尊重すべきか?」この問いに答えずに、無闇矢鱈に「尊重せよ」と強制するのは、自己矛盾以外の何ものでもない。それは「尊重」の対局にある対応だ。

 中央官僚に優秀な人材を登用し、強力な中央集権国家を作りあげつつあった当時のドイツと英国とは、お互いに一番の仮想敵国だった。実際に第一次世界大戦はその対立軸が解消しなかったために始まった。1860年代の英国では、その仮想敵国のドイツの教育には、かなりの対抗意識を持っていた。当時のビクトリア女王がクラレンドン伯爵に命じた「パブリック・スクールの実態調査」は、3年をかけた後に議会で報告された。その調査結果が今も残っている。その中には、「我が国のパブリック・スクールにおいて、身体強化は、“大陸と違って”強制されたものではなく、生徒が自主的に行うスポーツでなされている」という一節がある。ここで言及されている「大陸」がドイツであることは明らかだ。ここでは、「ドイツでは体育だが、英国ではスポーツだ」と誇りを持って報告されているのだ。

 実は、初代文部大臣の森有礼はクラレンドン報告がなされたまさにその頃、英国に外交官として派遣されており、間違いなくこの報告を知っていた。欧州視察中の伊藤博文に会い、翌年の日本初の内閣に入閣を要請された。(森が売りこんなという説もある。)まだ若干37歳で最年少で入閣した森は英国のスポーツ教育を知っていたが、明治の日本にはむしろドイツ型の「体育」が有効だ、と判断したと思われる。当時の森の判断は間違っていないと思う。ただし、それは飽くまで「国民国家」樹立期の日本が、帝国主義の世界で生き残ることを至上命題としていたからだ。森は「体育」で「勤勉な国民」と「優秀な兵士」の両方を育成しようと考えていたはずだ。当時の日本内外の条件は、今日のそれとは全く違ったものだった。従って、教育の目的も異なっていて当然だ。問題は、「現在」だ。条件が全く異なっているのに、学校では未だに「富国強兵」の時代と本質的には変らない「体育」を実施し続けている。それが問題なのだ。

 以上は決して「体育」を否定した議論ではない。歴史的には正しかったが、今日ではそのままでは通用しない、と言っているのだ。小学校の低学年までは、基本的に「体育」中心でいいのかもしれない。ただし、体育の指導者はスポーツを正しく理解している必要がある。10歳を過ぎてもまだ「体育」では情けない。「覚醒」を促すスポーツにシフトすべきだろう。10歳というのは、脳の中の前頭葉の細胞数が確定筋期で、その後10〜12年で前頭葉の機能/能力が決まってしまう。前頭葉は、「対人関係」や「価値観」などを司る。他の哺乳類にはない「第3の脳」だ。右脳と左脳という第1と第2の脳は、「本能」を司っているので、人間が生物の本能から逸脱する複雑な行動をとるのは、基本的には前頭葉が存在するからだ、と考えられている。大学を卒業してからでは、人格の形成はほぼ不可能なのだ。(注:「鉄は熱いうちに鍛えよ!」)

 

日時: 2013.09.16|

連載No.48 スポーツ≠体育  2013/0914

 ビクトリア朝イングランドは、「7つの海を制し」「太陽の没しない帝国」を築いた。「Pax-Britanica」と言われた英国の覇権は、20世紀の初頭、第一次世界大戦が開始されるまでの凡そ70年間続いた。「その成功は植民地経営の勝利にあり、それを支えたのがミドルマネジメントの育成にあった」と喝破したのは、マネジメント学の泰斗、ドラッカーだ。ミドルマネジメントとは、軍隊で言うところの小隊長クラスの将校だ。兵士でもなく、将軍でもない。現代であれば、海外支社長クラスを指す。当時の植民地は、低開発国で、しかも苛烈な気候条件の地が圧倒的に多かった。パブリック・スクールは全寮制であり、寮内では暖房器具の使用が禁じられていた。あの寒い英国の冬で暖房が禁じられていたのは、将にパブリック・スクールが植民地経営の人材育成を担っていた証左だ。

 パブリック・スクールで完成された「近代スポーツ」の中核には、元々「スポーツマンシップ」という原理が存在していた。パブリック・スクールに集うジェントリー(郷紳)層は新しい時代、「近代の産業主義」の英国を担っているという自覚を持っていた。人類の歴史の中で、初めて貴族階級になっても「仕事」をする層が出現した。(これに相当するのは日本の江戸時代の武士層だ。)パブリック・スクールでスポーツが採用された当初、その目的は「勝つこと」ではなかった。ゲームを通じて、「誰が最もスポーツマンらしくプレーしたか」が競われていた。スポーツマンは、「心・技・体」に優れた「国を担える人材」を意味していたのである。

 ゲームの最中は、誰にとっても勝ちたいという気持ちが強く、「勝つためには手段を選ばない」という傾向に流れがちだ。そこで堪えて、「礼節を重んじることができるかどうか」は、なかなか簡単ではない。(実際にスポーツに打ち込んだ経験のある者ならば、誰にでも分かるだろう。)そして、スポーツのルールとは、将に「興奮状態で我を忘れると、ファウルしやすい」ように仕組まれている。(サッカーの「オフサイド」や、ラグビーの「スロー・フォワード」や、バスケットの「キャリング」という反則は、「人間の興奮と欲望を抑制できるかどうかをためす」ためにある、実にうまくできた仕組みだ。「罠」と言っても良い。)「忘我」とは「覚醒」の反対の状態を指す。「どんな状態でも自分を客観視できるかどうか」、が我を忘れやすいスポーツというゲームで試される。これに勝つことを「克つ(克己)」という。これができるとスポーツマンになれる。

 翻って我が国におけるスポーツでは、それが徹底されているだろうか?実は、スポーツ界で「敵」という言葉を使う国は世界でも多くない。(筆者の知る限り、日本だけだ。)スポーツでプレーするのは相手であり「敵」ではない。これは我が国において、「体育」が兵士養成の軍事教練だったことの名残だ。前述したように、「スポーツは、元来、将校クラスを育てる」ものだった。「兵士」と「将校」の違いは、大きい。「兵士は、将校の判断と命令を遂行する者」という関係である。「体育」では身体の鍛錬は可能だが、「判断」という「脳の機能」の鍛錬は、そもそも目的とされていない。初代文部大臣の森有礼は、「国民教育の要諦は、知育・徳育・体育の3つである」として、「体育」を「知力」と「徳力」の養成と切り離して考えていた。この点で、「知力」と「徳力」を併せた身体活動としてのスポーツとは、明らかに異なった思想が背景にある。

東京五輪が2020年に開催されることが決まった。素直に寿ぎたい。その一方で、日本には真っ当なスポーツ(文化)が確立していない点を忘れるべきではない。1964年の東京五輪の開会式を記念して作られた国民の祝日の名前は、「体育の日」だ。五輪は「スポーツの祭典」である。決して「体育の祭典」ではない。競技の強化もいいし、インフラ整備もいい。が、その前にスポーツの誤解を正し、真っ当な理解を進めるべきではないだろうか。

 

日時: 2013.09.14|

連載No.47 「人災」の本質は、勇気の欠如 2013/0913

 「人災」を象徴するのが「東京電力」の対応だった。あの日、東電の会長と社長は両名とも揃って東京本社を留守にしていた。まるで神が存在して、そこを狙ったような日に起きた天災だった。東電という会社の社会的な存在価値と、「原発のリスク」を自覚していたら、この会社組織のトップ両名が同じ日に本部を留守にするわけがない。彼らは自己の置かれている立場について、「覚醒」していなかったと言われても仕方が無い。

 原発の事故のあと、管首相の判断で、事故対策本部が東電本社に移され。東電の関係部署の部長達が集められた。会議が始まる前に、会議室の後ろの方では東電社内の部長同士が名刺交換をして「初めまして」と挨拶しているのが目撃されている。目撃した内閣府の某官僚は、その光景にショックを受けたそうだ。それはそうだろう。彼らに覚醒があれば、事故が起きる前に、日頃からコミュニケーショがとれていたはずだ。しかしながら、災害が起こって「初めて」会った同士だったのだから呆れる他ない。東電では「事故は起きないもの」という神話があり、リスクに対応すべき品質管理部は、配属されたら出世ができない部署として社内では有名だったという。本当だとしたら、開いた口が閉まらない、とはこのことではないか。組織として覚醒がなかったことが明らかになった。

 2012年の夏、国会事故調査会の報告会があり、横山委員は「専門家はいた。専門的な知識はあった。だが、関係者に意気地がなかった」と断じた。専門家の間で「リスク」は既に予想されていたが、それを具体的に指摘し、行動を起こすと「角が立つ」ので黙っていた、というのである。組織内には「同調への抑圧」が存在した。(あとで触れるが、山本七平はそれを「空気の研究」の中で論じたと。その後も、「カネボウ化粧品」のユーザーに皮膚に白いマダラが出た問題など、この手の事件は枚挙に暇がない。社会全体に「覚醒」が欠けているのではないだろうか。)

 「覚醒」とは何か。「意気地」とは何か?これを「勇気」と言い換えると分かりやすいだろう。では、勇気とは何か?古来、我が国でも「義を見てせざるは、勇無きなり」と言われてきた。「勇気」とは、「すべきコトをする」「すべきでないコトをしない」態度のことである。決して「考える」だけで終わってはならない。つまり、「勇気」とは、「覚醒」と「行動」のことに他ならない。現代社会において「勇なき」ことが、どれだけ危険であるか、我々は思い知ったはずだ。それが「人災」だ。にも拘らず、「覚醒」せず、何の「行動」も起こさない。これが「人災」の本質なのだ。

 では、「勇気」を身につけるにはどうしたらいいか。常識的に考えれば、「教育」に答えを求めるしかあるまい。では、どんな教育によって「勇気」が身に付くのか。「覚醒」と「行動」は、どのようにしたら身に付くのか。「覚醒」とは脳の反応が良いことだ。「行動」とは身体の動きだ。「脳」と「身体」を統合するのに最適な教育ソフトは何か?答えは明らか、「スポーツ」である。

 事実、スポーツの母国、英国では「勇気」は「スポーツマン」に不可欠な能力とされている。近代スポーツは、19世紀の後半、ビクトリア朝イングランドのパブリック・スクールで完成されたソフトだ。イングランドが国策としてスポーツを「リーダー育成のための教育ソフト」として完成させ、採用したことは歴史の示すところだ。(「ウィカミスト論争」「クラレンドン委員会報告」などを辿れば、それは明らかだが、ここでは紙幅の関係で割愛する。興味のある方は、背著「スポーツマンシップ立国論」をご参照あれ。)

 

日時: 2013.09.13|

連載No.46 「スポーツマンシップ教育」による「人格教育」 2013/0912

 我が国において、今ほど「人格教育」が必要な時はない、と心から思う。10年ほど前からスポーツマンシップ教育を通した人格教育の普及を唱えてきた。2003年には「スポーツマンシップを考える」という本を上梓した。同時に、小学校で授業を行い、その様子を撮影し、DVDにして全国の小学校23000校余りに配布した。(現在、この録画はスポーツ総合研究所のHPで無料公開している。)大学では「スポーツマンシップ論」という講義を開始した。多摩大学では、最初は100名を越える「スポーツ好きな学生」が履修を希望し、教室はほぼ満杯になる。が、翌週には半分に減り、最終的には3分の1くらいになる。立教大学でも、ほぼ同数になる。名前はスポーツマンシップだが、「自己客観化」「戦略的思考」「コミュニケーション」「課題設定」「フレーム思考」「クリティカル・シンキング」などのトレーニングを3ヶ月の間に施す。一言で言うなら「自己啓発」と言ってもいいだろうし、「Life-skill」という言い方もできる。大学一年生対象であれば、「知識(ナレッジ)を習得するための知識」、つまり「メタ・ナレッジ」に重点を置く。スポーツマンという当事者意識の高い「覚醒した人格」の習得を目指す講義になる。

 2010年に民主党政権で菅直人氏が首相になった時に、嫌な予感がした。「リーダーシップの無い人間が一国の総理大臣になった」という事実にショックを受けた。(後になって、同様な危機感を抱いた人がずいぶん多くいたことが判明した。)そして、東洋経済新報社のメルマガでコラムの連載を開始し、事態について警鐘を鳴らした。連載4回目は「茹で蛙」というテーマだった。過剰適応によって周囲の事態の変異に気づかないことが、大きなリスクになり致命的な事態になりかねない、と伝えたかったのである。「覚醒せよ!」という警鐘を鳴らしたつもりではあった。別に予知能力があった等と言い募るつもりはさらさらない。が、心配は的中し、それは来た。

 2011年の3月11日、東北大震災が起きた。地震と津波の「天災」による被害も然る事ながら、「原発事故」によって、日本の安全神話が崩壊した。それは端的に「人災」という言葉が象徴していたように、未然に防げたものだった。人災とは将に、「人による災害」のことだ。当時、「人災」という言葉は、この国で知らぬ者とてない程に流布された。「人口に膾炙した」のだ。では、その後「人災」に対する備えは進んだろうか?あれから2年以上経っているが、「人災」への対処がどこかでなされた、という話を寡聞にして聞いたことがない。「人災」のリスクは何も減っていないにも関わらず、「人災」という言葉は、巷から消えつつある。まさに「人災」の何たるか、がこのような事態にこそ現れていると言っていいだろう。人災とは「人の意識」によって生ずる。意識が覚醒しないことが「人災」の始まりでなのだ。

日時: 2013.09.12|

連載No.45 ブランドと「物語」情報 2013/0911

 「成長戦略」で述べたように、マーケティングには「情報戦略」が欠かせない。そして、究極のマーケティングがブランド構築戦略だ。ブランドとはまさに「情報」によって形成される。その形成は次のような式によって構造化できる。

  ブランド=「情報の質」×「情報の量」×「時間」 (決定要因=パラメータは3つだ。)

 「情報の質」とは、「モノに関する情報」や「モノの背景にある物語」がどのようなメディアでどのように語られるか、という問題だ。「モノの良さ」が前提にはなっているが、「良ければ売れる」わけではなくなっている。テクノロジーの発達によって、モノ自体による差別化がどんどん難しくなってきている。また、仮に競合他社よりも格段に優れたモノが開発されたにせよ、現代はそういったモノの驚きが長続きしなくなった時代だ。情報の流通する量と速度が、格段に増え、格段に速くなった時代なのだ。(「コモディティティー化」が速くなったと言われている。「コモディティー」とは「日用品」のこと。)モノ自体による差別化が困難になると、モノに関する情報や、店頭におけるサービス(CS)が販売に与える影響が相対的に強くなる。

 例えば、「掛川のお茶オーデコロン」や「河津桜」というオーデコロンはどうしたら売れるか?世界の高級香水のほとんどは欧州、それもパリ発が多い。(これは元を遡ると、ナポレオンの戦略にたどり着く。パリを世界のファッションの中心にしようと考え、イタリアのフィレンツェからお針子を数百人連れてきたのだ。やはりイタリアのメディチ家から嫁いだ王妃が連れてきた料理人によって、フランス料理が始まったコトを想起させる。1960年代にフランス政府は「コルベール委員会」という名称の組織を作り、「衣料」「バッグなどの小物」「香水」「化粧品」など、ファッション関連を総合してフランスのファッションブランドの確立を目指ことにした。その戦略が見事にあたって、今日に至っている。コルベールとは、ナポレオン政権における財務大臣の名前だ。コルベールはナポレオンの政策を、現場で実施したのであり、フランス政府はそれを覚えていたのだ。)

 匂いは言うまでもなく、風土と結びついている。なぜ、亜熱帯性で高温多湿のアジアにおいて、湿気の少ない欧州で開発された香水が使われるのだろうか?同じアジアの日本としては、多湿なアジアの気候にあった香水を開発して売り出すことには大いに可能性あり、だろう。「日本」と「緑茶」あるいは「桜」とのカップリングは、アジアにおいて理解されやすいはずだ。「アジアに相応しい香水」のブランド化

 

日時: 2013.09.11|